北津島病院小史−6/10の部
癌について。
癌化しにくい多能性細胞を作製 熊本大、乳酸菌で(2012年)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG29011_Q2A231C1CR8000/
体細胞に多能性を獲得させているのは「リボソーム」であることが判明(2018年)
https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2017-file/release180126.pdf
熊本大学自身での追加研究では、
「細胞の初期化に関与しているのは、細胞核に流れ込んだリボソームである」と2018年に発表したが、
熊本大学による2012年当初の観察では、細胞内に取り込まれた乳酸菌は、細胞質内に留まり、
細胞核内には取り込まれない様子が観察されている。
また、この熊本大学による2018年の追加研究では、
「細胞核内に取り込まれるリボソームは、乳酸菌由来で無くてもよい」と、
報告されているので、前出の2012年の熊本大学による研究での、
「注入する細菌が乳酸菌でなければ、多能化が起きなかった」という必然性が、
2018年の追加研究では、完全に放棄されてしまっている。
ここで、異説がある。
「『STAP細胞は、あります』。
STAP現象が世に出てはまずい理由はここにあった。
ガン細胞の発生メカニズムが明らかになり、
現在の製薬・医療システムが役に立たないどころか不要になってしまうからでは?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=296443&g=132207」
上記の仮説では、
「乳酸過多(乳酸による細胞質の酸性化(アシドーシス))によって
細胞内小器官の一つであるミトコンドリアを窮乏状態に追い込むことが、
細胞初期化(多能性獲得、癌化)の主な原因である」と主張している。
自然生態系では、単一Cloneが大量に密集していれば、病害虫や天敵に狙われる。
搾取が酷くて本能(煩悩)の充足が、あまりにも遠ければ、
共有地への奉仕型の良貨個体は疲弊し過ぎて、
手抜きする自己愛性/サイコパスの悪貨個体が寡占してしまう。
搾取が酷い独裁社会では、(体細胞)社会の求心力が失われて、
(体細胞)社会は著しく不安定化し、わずかな刺激で、雪崩的(Catastrophe)に、
(体細胞)社会の蜂群崩壊症候群(Colony Collapse Disorder)を起きる。
もしも、細胞の初期化に関与しているのが、熊本大学が2018年に主張するリボソームではなく、
乳酸菌の活動による乳酸自体(細胞質の弱酸性化)であると仮定するのなら、
菌の注入ではなく、乳酸を細胞質に注射し、何らかの刺激を付与するだけでも、細胞は多能性を獲得するはずである。
この異説に従うのなら、「『リボソームが細胞核内に送り込まれた』という観察結果は、
乳酸による細胞質の酸性化(アシドーシス)によって派生した結果の一つに過ぎない」
ということになる。
ある意味、癌とは、「体細胞に我慢させ過ぎ、繁殖を求め過ぎ」疾患。
(それでも子供が少ないのなら、社会が、その個人に負担させ過ぎている悪政(分配の不正義))
#define (悪政)≡{分配の不正義}
≡{弱肉強食(競争)は必要だが、
社会の内側で弱肉強食(競争)をするのなら、
社会の約束を守ることは、弱肉強食(競争)よりも優先する}
免疫の失調(アトピー、アレルギー)に関しても、
精神病同様に遺伝病、先天性疾患だから「自己責任」との論説もありますが、
環境の変化(公害)も一因かもしれない。
むろん、環境耐性も遺伝には支配されますが、進化速度や対応可能域にも、限度は、あるでしょう。
生物の細胞膜は、油溶性の構造になっている。
生物の体液は、水溶性の物質の輸送に適した構造になっている。
体液や細胞膜を経てゆくうちに、化学物質の精製工程のように、
目的の成分のみが、目的地に輸送されるような構造に生物の構造はできている。
で、そこに界面活性剤のような構造の人工的な介在化学物質があると、目的の成分以外も、輸送されてしまう。
そのため、本来、体内にあってはならない物質が、人工化学物質の介在によって、体内に集積してしまうことがあり得る。
そのようにして、PCBやトランス脂肪酸やダイオキシンや薬物などが、代謝しにくい油溶性の毒物として、脂肪に蓄積する可能性もある。
トランス脂肪酸が動脈硬化症と関連があるのは、こういった理由かもしれない。
(2019年12月25日
糖尿病は「脂肪が肝臓からすい臓にあふれ出して」発症するということが判明
https://gigazine.net/news/20191225-overspill-fat-diabetes/
Type 2 diabetes study - Press Office -
https://www.ncl.ac.uk/press/articles/latest/2019/12/type2diabetesstudy/
イギリスのニューカッスル大学に勤めるロイ・テイラー教授が率いる研究チームは、
イギリスの国民保健サービス(NHS https://www.nhs.uk/)が実施した大規模な糖尿病寛解臨床試験(DiRECT)の結果を元に、
「糖尿病が寛解(症状が落ち着いて安定した状態)した人」と「糖尿病が寛解した後再発した人」を
比較する研究を行いました。
テイラー教授はこの結果について、
「人が皮下に蓄えることができる脂肪の限界量には個人差がありますが、
この限界量を超えると脂肪は肝臓に蓄積されます。
そして、肝臓に脂肪が蓄積されすぎると、
今度は脂肪がすい臓などの他の器官にあふれ出すようにして蓄積されます。
これにより、すい臓でインスリンを生産しているすい臓β細胞が機能不全を起こし、
2型糖尿病が引き起こされるのです」と述べました。
肝臓とすい臓の両方に蓄積された脂肪が糖尿病を引き起こしているというメカニズムを、
テイラー教授は「ツインサイクル仮説」と呼んでいるとのこと。
テイラー教授はさらに、
「ツインサイクル仮説によれば、2型糖尿病が『体内に過剰な脂肪が蓄積されている』という、
ごくシンプルな状態であるとみなせます。
言い換えれば、継続的な食事療法により脂肪を減量させることができれば、
2型糖尿病は解消可能だということです」と述べて、
今後はより効果的な糖尿病の予防や治療が可能になるとの見方を示しました。)
自ら健康的な恒常性(Homeostasis)を破壊してしまう、
自殺(Necrosis / Colony Collapse Disorder)的な過食行動の原因は、
何だろうか?
ある意味、自己免疫疾患とは、「体細胞を過保護し過ぎ、不老長寿を求め過ぎ」疾患。
(それでも早死にするのなら、社会が、その個人に負担させ過ぎている悪政(分配の不正義))
ストレスが溜まると、自衛防衛本能により、食い溜めをしやすくなる。
蓄財・相続権など財産権差別や、人間不信・社会不信に陥った犯罪被害者に対する雇用差別や
被害者の正当防衛の権利を無視した判例や
人権侵害の立証手段を剥奪された精神病院内の環境など、
食い溜め以外の自己防衛の手段を強奪されている精神障害者は、
ストレスが顕著に食い溜め(生活習慣病、交感神経過剰優位に拠る血管性疾患)に反映されやすい。
次に、免疫システムの発動の手掛かりとなる目印は、数学的な論理によって選定されているわけではない。
天然物でも、極めて高い頻度で、免疫を強く刺激する人工化学物質と共に存在すれば、
免疫システムの起動の目印として、排除すべき標的となる人工化学物質だけではなく、
標的としては不適切な天然物も、目印に誤認して選定されてしまうことも、あり得る。
ちなみに、人口当たり精神病床数の多い県は広島県、沖縄県、少ない県は静岡県、東京都などらしいです。
(基本的に人口当たり精神病の発症率は一定であると言われているため、
東京都や静岡県で発症した患者は他の都道府県に尻拭いさせていることになります。)
障害年金は老齢年金とは違い、海外で受給できませんから、物価の安い国に逃げることもできませんし、
いつ等級を下げられて自由のない生活保護にされるかの恐怖で病院を忖度しがちになりますし、
生活保護を受けると、引越しをする余裕を持たせてもらえませんから、その土地に縛り付けられます。
野島精二の持論は「惻隠の情」:強い者がまず先に取り、弱者を憐れむ、だったらしい。
また、金銭労働を重視し、レクレーション以外に内職作業を患者にさせたりもしていた。
が、患者の間では、独裁者とか金の亡者などとも批判されていた。
また、「まずは、何でも入院、24時間観察してこそ、正確な病状も把握できる」だったが、
患者の間では、「何でも入院させて退院させない病院」とも批判されていた。
また、北津島病院は、患者不在の「診察」(談合)を繰り返して保護者などと強制入院(拉致)の手はずを整え、
近隣に目立ちにくい時間帯(昼や深夜などに)警察官の暴力を利用して保護室に強制入院(拉致)させる手法を繰り返していた。
もちろん、患者が死んだときも、目立たないように搬出するし、死因は必ず隠す。(20代や30代など結構、若い患者もよく死にます。)
普通に独房(「個室/保護室/静養室」)に3年以上入れっぱなしとかしていましたし・・・。
ちなみに、患者が健常者と口論となった場合、健常者からの売り言葉はカルテ(診療録)に記録されませんが、
患者の買い言葉のみはカルテに記録されます。
(簡単に言えば、健常者がどのような卑怯な手段を使ってでも、患者に暴言を言わせてしまえば拉致は公認されます。
そしてかつ患者に対する健常者の犯罪は罪に問われません。(喧嘩片成敗の原則))
野島逸院長 主に睡眠を得意とするらしいが、東京出張が多く不在がちらしい。
三輪高之副院長 全国医師連盟役員(医師(自分)の待遇改善を主な主張とする団体らしい。)
三輪高之医師は、「男女交際は合意があろうとなかろうと、すべて強姦(レイプ)である。
男女が会話したり、男女が手をつないだりした場合も強制わいせつと同様に
医師の権限を使って罰してきたし、今後も医師の権限を使って罰し続ける」と主張していた。
また、保護者が同席していると丁寧語で診察し、患者だけが相手のときはタメ口で診察していた。
まあ、現実問題、精神病院を実質的に選んでいるのは患者ではなく、保護者なので、
精神病院にとっての「お客様」とは、患者ではなく、保護者である。
(これは、精神病院が保護者に対して誠実であることを意味しない。
精神病院が、とりわけ保護者に対して媚を売る事実のみを示している。)
現実、北津島病院は患者が主治医を選ぶことを禁じており、
(特に入院歴があるなど精神病のレッテルが安定している患者は)原則として主治医を変更できない。
(精神病のレッテル張りや薬による思考停止の惨めな姿に親族があきれ果てて、親族に見捨てられてしまえば、
もはや薬で朦朧としている患者の人権を守ってくれるものは一切無く、
「お助けください、院長様」と卑屈に哀願できない者、「院長様は神様です」といった身分制度を拒否する者は、
容赦なく、あの世行きにされる。「主治医を選びたい(Second opinion)」と口にすることは時に禁忌でもある。
つまり、精神科の内部は金銭などに基づく封建身分制度社会であり、
金持ちや権力者にとっては、最強の脱出口(Licence to Kill)であり、
そうでない者にとっては、ひたすら強者への忖度と諂い競争が行なわれる暴力団的な価値観を刷り込む奴隷世界だ。
奴隷階級(非人階級)に堕ちた自らの身の程を思い知って、
理不尽な身分制度に対して抗うことを諦めること(Surrender of Resistance)を「病識」と呼ぶ。)
主治医に不満を持って転院しようとしても、紹介状があっても受け入れを拒否されたりして、
精神病治療に対する選択の自由は事実上ない。
さらに、転院のときに引き継がれる患者情報は、表向きは紹介状一枚のみなので、
医師を選ぼうとする(セカンドオピニオンなどに積極的な)患者は膨大な医療治療履歴情報が失われる不利を被る。
また、迷惑施設である精神病院を受け入れてくれる地域は少ないので、
何かと地元に賄賂を贈らなければ、成立しにくいのも現実だ。
「野島式」≒「保護者が参列する行事に地元業者をふんだんに使って理想の病院を演出する」といった図式らしい。
最古の病棟は、現在はOT室棟として使われているらしい。
院長の世代交代に伴い、幹部職員の大きな入れ替わりがあった。
事務長:佐々→林
OT長:武田→加藤
副院長:山田尚登→三輪高之
(山田尚登副院長は、絶対に障害年金を受給させない(等級判定が1級や2級にならない)診断書を書くことで有名。
山田尚登副院長は、「障害者は生活保護で暮らせ」という信条を、職権を濫用して、実行している医師。
障害年金の等級判定では、年金審査用診断書内のSPEC(「日常生活能力の判定」、「日常生活能力の程度」)と
呼ばれる項目が重要らしい。初診日から1年6ヶ月以降に年金の受給を申請する権利が生じる。以降5年ごとに再審査。)
運動療法士や音楽療法士、栄養士(冷凍鶏肉と冷凍肉団子が定番なのは相変わらずらしい)なども世代交代した。
医師も名古屋大学医学部卒業者で固めていたが、現在はほぼ消滅した。
夏祭りや運動会は、大幅に縮小された一方で、その「練習」は強化された。
北津島病院の周辺施設
竹島歯科:古くは平和町議会議員なども出したらしい。(地元の名門家系?)
患者の間では、「すぐ(歯を)抜くJOY(女医)」と呼ばれていた。
丸彦家具、サンエースヘイワ:北津島病院御用達
六輪グラウンド:徒歩1分、テニスコートが1面2時間240円
ファミリーマート六輪店:徒歩3分(石田屋が閉店したので、病院内の売店を除けば最も病院に近い商業施設。)
ピアゴ勝幡:徒歩30分
ヨシヅヤ平和店:徒歩15分
名鉄津島線勝幡駅:徒歩25分、北津島病院職員の主な送迎先、
立派な信長の銅像が建立されているが、寄付者は不明。
(駅周辺の再整備に伴い、北津島病院の創業者銅像と、ほぼ同時期に、ほぼ類似サイズで建立された。)
名鉄尾西線六輪駅:徒歩10分、単線、一宮行きが1時間に4本、2017年に公衆トイレが著しく高級化した。
(かつては、建築現場などに置かれている仮設トイレのようだったが、
立派なコンクリート作りのトイレに立て替えられた。)
嫁振神社:野島精二が50万円を寄付して筆頭寄付者、ご由緒の石碑も野島精二が建立。
六輪病院:赤字で大書きされた「肛門科」の看板が目立つ「痔」の治療を中心した病院。
一応、それ以外の科もあるが、「俺は断じて痔ではない」と弁明しても
信じるかどうかは、聞き手次第である。
精神病式の言い換え
怒っている→興奮している(この状態の患者に対しては憲兵(警察)や医者は何をしても良い。「怒ったら負けよ」)
拉致する、誘拐する→保護する。
精神科への強制入院は、特に「非人」のレッテル貼りが安定していない、
初回強制入院は、人権侵害の実態が目立たないように、
「御近所様に目立たぬように、迷惑をかけないように」、
夜と霧の闇の内に行なわれることが多いです。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html
ユダヤ人(非人Jüdisch)が、人質でも取って拉致に抵抗されたら国民の被害も大きくなりますから、
官憲(Gestapo)による暴行は、人気が少ないときのほうが都合が良いのです。
差別する→患者様一人一人に対応した治療をしております。個別の案件についてはお答えできません。
(個人情報保護を盾に、基本的人権侵害に関わりかねない組織の不透明化、隠蔽工作)
脱走→ESCAPE(エスケープ)
北津島病院が主張する「脱走」の大半は、北津島病院の違法行為です。
なぜなら、北津島病院は、法令に見かけ上、適合させるために、書類上のみ「任意入院患者」を作っています。
「任意入院」とは、「患者が自分の意思で入院している」という意味なので、
患者が退院の意思を表明した瞬間に退院できます。
ところが、北津島病院は、不法にも、「任意」入院患者が退院の意思を表明した瞬間に、
無条件で病状の悪化を偽ってカルテに書き込み、書類上、「強制入院」に変え、
また、職員が患者に暴力を振るって、患者を閉鎖病床に移してしまいます。
(精神科病院のどこが問題なのか、どうやって変えるか / 原昌平
/ 読売新聞大阪本社編集委員、精神保健福祉士 |
SYNODOS -シノドス-
https://synodos.jp/society/22678
本人の同意に基づく「任意入院」だと、退院は原則自由とされるが、
精神保健指定医が判断すれば72時間以内の退院制限ができ、その間に医療保護入院に切り替えることがある。
完全に自由な入院制度はないわけだ。
「自分は任意入院だから」と退院の意思を表明すると、却って、解除に手間のかかる強制入院に切り替えられ、
さらに行動制限の多い閉鎖病棟に移される、という「罰」を与える仕組みは、こういったことでしょう。)
ですから、運用上、北津島病院の病床は100%強制入院の閉鎖病床です。
(このような環境に長く置かれた患者は、刑務所のように、「親分となる職員にさえ、媚びておけば
どのような犯罪行為も大目に見てもらえる」と理解して、弱い者イジメを平然と行うようになって退院します。
ですから、北津島病院に於いて、「社会復帰訓練」とは「弱い者イジメをする習慣を身に着けること」です。)
現実、「閉鎖病床」の患者の50%近くが、いつでも退院できる「任意入院」患者です。
では、なぜ、いつでも退院できる患者を、「治療」と偽って、
外部の目に触れないように隠して監禁し続けているのでしょうか?
もしも、脱走した患者がいたら、脱走の1週間前のカルテを照会してごらんなさい。
「任意」入院患者に「脱走」という概念は本来、存在しません。
「脱走」即ち「退院の意思表示」ですから。
「野島逸」という人間が、どれほど、冷酷か、
北津島病院、ひいては日本が、どれほど、北朝鮮と相似形か、よく判るでしょう。
嘔吐する→REVERSE(リバース)
「近所迷惑だから駆除して欲しい」→「精神病だから保護して欲しい」(公的な表現)。
飛び込み/飛び降り自殺をする→DIVE(ダイブ)する。
日本では「法的に有効な遺書」が存在しない自殺は、しばしば「転落死」と行政的には形容され、
事故死の扱いで処理されます。
「事故死」ならば、いじめやパワハラなどで
故人を追い込んだ犯罪者たちは存在しなかったことになって、
組織犯罪は免責されます。
無視する→SLEEP(スリープ)のため診察不能、
患者を法の規定に反して長期間、独居房(座敷牢/保護室/静養室)に幽閉する際に用いる用語。
2017年11月現在も、そういった行為を行っている模様。
コンビニなどのレシートを紛失した、或いは捨ててしまった
(≒万引きではないことを証明する書類がない→「疑わしきは罰する」の原則)→窃盗癖がある触法精神病患者。
日本では、警察が勝手に不起訴処分にしたり、起訴時点での報道が行なわれなかったり、
取り調べ内容の恣意的なリークによる世論(印象)操作や、
「法律は企業の門をくぐれない」「企業は江戸時代の藩と同じで治外法権地帯」などとも称されるように
関係者の口裏合せによる犯罪の隠蔽が日常的過ぎるために、
「疑わしきは罰せず」であるべき逮捕時点での個人情報の保護を犠牲にしなければ、
報道が、完全に警察によって操られてしまう。
警察からの報道自粛要請に逆らって報道することは大手マスコミでも難しい。
先に報道してしまえば、後から自粛要請で大本営報道にさせようとしても、
もはや、覆水盆に返らず状態で、政府による情報操作は不可能になっている。
容疑時点での個人情報緒を含めた詳細な報道は、日本政府の情報操作への苦肉な妥協策であり、
「疑わしきは罰する」は、本来、奨励されるべきようなことではない。
容疑時点での報道は、事実の情報公開によって、被害者を救済し、
行政や権力の巨悪を暴く重要な公的な役割があるから、仕方なく妥協しているのだ。
「警察が押しかけてきた」「DVを受けた」「強姦された」「執拗な嫌がらせをされた」などと事実を訴える→被害妄想
男女交際→強姦(レイプ)
貧乏揺すり→両下肢の不随意運動
貧困に窮して経済的徴兵に応じようとする→殺人願望
(ちなみに診察は順送りにずれ込み、予約時間より大幅に遅れることも多かった。そのため待合室で3時間以上待つことも普通だった。)
北津島病院の事務によると「診療記録に処方箋は含まれない」と思っていたそうです。(2017年11月現在)
ですから、「診療録の開示請求」の書類には処方箋を開示するかしないかを選択できるようには作られていません。
患者に誤解が多いのは精神病や妄想が原因とは限りません。
職員が患者との摩擦を避けるために、「秘密です」と言わずに、嘘を流すことは日常茶飯事だからです。
患者が職員の流した嘘を信じて話せば、職員たちは自分が嘘を流したことを棚に上げて、
「妄想」と患者に言いがかりを付けることができますから一石二鳥というものです。
もちろん、警察や地域の人々も患者に嘘を流し込むことに対して何ら良心の呵責を感じません。
彼らは患者を追い払うという目的のためなら、どのような卑怯な手段でも使って良いと考えているようです。
患者の立場から眺めてみましょう…。
いきなり、「正義を守るはず」と信じていた、弁護士や警察に、基本的人権を剥奪され、
拉致監禁されて、「健康を守るはず」と信じていた、医者に麻薬や覚醒剤を投与されて意識も朦朧としています。
何を信じればよいのかも判りません…。
ここで、職員や医者や警察官や弁護士らが階級章・勲章を見せつけながら、
「我々に従った方が君の身のためだよ」と恫喝し、
嘘を並べたり、外部の目に付き難い場所で、奇妙な行動をとって見せたりして、
第三者から見て、如何にも彼が社会不適合に見えるような、「彼は気違いだ」と説明して納得できるような、
行動応答パターンを植えつけようとします…。
そうやって、彼ら(精神科職員や医者や警察官や弁護士ら)は、
捕獲した獲物(精神障害者)を、
第三者から「彼は、本来は正常な人間だ」と云う疑念を持たれない(悟られない)ように、
獲物(患者)を教育(洗脳)しようとします。
「精神病院の中の内規は日本国憲法よりも優先する」と考えているようです。
「正当防衛」という概念は精神病患者には適用されません。
なぜなら、患者からの被害はカルテなどに記録されますが、周りから患者への加害は記録されないので、
記録上では、患者は常に加害者以外にはなりません。
多くの場合、「患者」の堪忍袋の緒が切れる(爆発、統合失調症の急性期、陽性症状)する前に、
様々な有形無形の嫌がらせの蓄積があります。
警察は、極めて予断に満ちた法律の非中立的運用をしているので、「患者」は私刑に走りたくなります。
精神病院で行われている「治療」は、
「人類の闇。昔から現在に引き継がれてきた身も凍る15の精神的拷問 ( http://karapaia.com/archives/52224119.html
)」
に、極めてよく似ています。
「恐らく症状は、精神的なものでしょう」という台詞は、藪医者が診察不能を宣言するときの枕詞として多用されている。
最近の医師は、触診など外見から診察する技能が極めて低い者や、
そもそも金儲けの資格という程度の認識でしかなく学習意欲がなかったり、
学習が現場経験からの自己研究軽視、教科書信仰のヒラメ主義が多かったりするため、
結局、根治療法の診断は血液サンプルを検査会社に送るだけで、当面の処方は対症療法薬のみ、
で、処方薬は、製薬会社の営業マン(Medical Representative)任せ
(新薬にすると、保険薬価が高めで製薬会社の取り分も大きいし、「副作用を分散させられる」という口実も付く)で、
健康保険で3割負担になって、大衆薬よりも自己負担が小さい処方薬が出せるだけが強み、と言う医師が多い。
かつて、ベル研究所(Bell Laboratories)のWalter Andrew Shewhart氏に始まる統計的品質管理:
"Ecomic
Control of Quality of Manufacured Product"を学ぼうと、
1950年に日本はWilliam Edwards Deming博士を招聘しました。(通称:Quality Control)
そのとき、同様な手法を適用しているのに、なぜか、アメリカよりも日本でのほうが、効果が高かったのです。
それは、基本的に、経営陣と従業員が協調的かどうかに、かなり依存しているからだ、と言われています。(Hawthorne experiments)
つまり、経営陣と従業員が対立的な場合は、従業員は、あの手この手で経営陣の足を引っ張り、妨害し、
会社全体の利益ではなく、経営陣を犠牲にしてでも、従業員だけの利益最大化を目指しがちになります。
それは従業員が性悪なのではありません。
従業員を人間扱いしない性悪な経営陣など、従業員から人間扱いされるに値しないのです。(法の下の(人権の)平等、人権)
日本でも、ブラック企業など、経営陣が経営の権利に見合った責任を取らず、従業員の身分を次々と不安定な非正規に置き換えるなど、
経営の失策の責任を従業員に擦り付けて、自らの保身ばかりを行なっていることは周知されるようになりました。
その結果、日本でも、従業員と経営陣の距離が遠くなりました。
従業員が”カイゼン(改善)”と称して、企業の経営に協力すると、どうなるでしょうか?
確かに、一時的には、従業員の所属する会社は、競争力が増して、従業員と経営陣はWIN−WINの関係になります。
LOSERは、競合他社です。
しかし、従業員は、「カイゼン」に協力して、数年後には解雇され、「カイゼン」の成果はすべて経営陣の物になります。
ですから、長期的には、「カイゼン」のWINNERは経営陣、LOSERは失業者を含めた労働者です。
カイゼンによって、従業員の所有する知識は、会社に移転され、その結果、より知識のない労働者で代替え可能になります。
知識を提供した従業員は、解雇された後、もはや陳腐化して価値のなくなった知識を抱えて、
知識のない労働者と競争させられることになります。
会社が利益を出した時、経営陣と従業員、取引先は、互いに、その利益の受益権を請求し合う競合者、
すなわち、 利害関係者(stakeholder)です。会社の利益の受益権は零和(REIWA=ZERO SUM)GAEMEです。
経営陣への協力(カイゼン)は、労働者らが自らの首を絞める結果となります。
「優良社員」とは、労働者の間では、経営陣に寝返った裏切り者です。
自分が明日、解雇されて路頭に迷うかもしれないのに、
自分の命より製品を大切にしたり、自分より会社を愛したりできるはずはありません。
明日、解雇されるのなら、従業員にとっては、明日まで、会社や店の信用など維持できれば十分なはずです。
「後は野となれ、山となれ」です。
安価な非正規(Working-poor)を3年で雇い止めするのなら、店や会社も3年で倒産すれば十二分なはずです。
従業員から見れば、明日、同業他社に移るのなら、
むしろ、古巣が倒産したほうが、商売敵が減って喜ばしいはずです。
解雇された後の、手抜きや不祥事の責任など、全部、経営陣のものです。
経営陣と従業員(国民)が対立していれば次のような発想になるでしょう。
「検査が多過ぎ、警備が多過ぎるほど、多くの失業者が経営陣に集れる。
不正や欠陥が多いほど、犯罪が多いほど、多くの国民が糊口を拭える」。
安価な非正規労働(Working-poor)の象徴、コンビニに強盗が入ると、困るのは経営陣だけ。
強盗も金が入るし、従業員も別に給与など定額だし、店が存続しようとしまいと切られるから、
店内にいる者は全員、お互いに損はしません。
まじめに従業員として、働いても、どうせ、報われないのなら、
「右手で泥棒、左手で警備」と、職場を、泥棒列強と警備列強の代理戦争の場にすれば、
泥棒列強も儲かるし、警備列強の需要も創出できます。
(泥棒も警備もWIN−WINで、経営者や消費者がLOSER)。
職場は、もはや生産や創造の場とは程遠い派閥争いの権謀術策、疑心暗鬼の戦場のような様相になってゆきます。
(分割して支配せよ:分割統治Divide and conquer、Divide et impera(ラテン語: lingua latina)
「狡兎死して走狗烹らる」→「狡兎」と「走狗」の創出、孫子の兵法三十六計略の離間の計、
Comics:”TOM
and JERRY”(呆けと突っ込み)、漁夫の利)
“ネット炎上”で保険支払い 「バイトテロ」に対抗、企業のやむなき防衛手段
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/02270557/?all=1
バカッターで損害賠償!1つの投稿から生まれる悲劇
https://kaisya-hoken.com/fool-twitter-damages-741
一応、法の論理を並べておきましょう。
会社が風評被害を受けたとしましょう。
さて、その風評被害の責任を噂の発信者に求められるでしょうか?
因果関係というものは全世界に繋がっていますから、
すべての事象は、因果関係で繋がっています。
ですから、法律的に責任を求められる因果関係は「十分な濃さ」が必要です。
そういった「十分な濃さがある因果関係」を「相当因果関係」と呼びます。
噂の発信者に責任は求められません。
会社に直接的に損失を与えたのは、会社と取引をしている人々であり、
噂の発信者ではありません。
取引者(消費者)が、その不確かな噂を鵜呑みにしたのが、大きな落ち度であり、
会社の被害に対する相当因果関係があるのは、会社との取引先です。
もともと、不特定多数の消費者を相手にした会社の売り上げは、簡単に変化します。
増してや、従業員を安価な非正規で賄う一方で、
非正規に過剰な責任を負わせるような人権弾圧の経営をしていれば、
会社の信用は既に地に落ちています。
小さな噂が、その崩壊した会社の信用を表面化させるとすれば、
その風評被害の責任を最も負うべきは経営者です。
技術者などを派遣など非正規で買い叩くとどうなるでしょうか?
経営陣(天上人)は、何の努力も無く、子供に事業も資産も相続させられます。
でも、従業員(奴隷階級、下人)の子供は、受験戦争、就職競争に放り込まれますから、養育コストも莫大です。
となると、他人である経営者の財産に、そこまで親身になって従業員が世話する必要が、どこにあるのでしょうか?
従業員の持ち物は、自分の家庭や、自分の人生です。
他人である経営陣の持ち物に、義理などありません。
技術者にも自分の人生があります。
何も、機械の使い手の都合など関係ありません。
機械が売れた頃には、技術者はお払い箱になっています。
経営者は、機械の利益(権利)を独占したいかもしれませんが、機械の苦情(責任)も独占することになります。
製品の苦情が返ってくる頃には、もう、開発した技術者の大半は、会社に籍がありません。
どこかの馬の骨が、他人が設計した機械のクレーム処理の尻拭いに追われることになります。
このようにして、技術者への報酬を盗む経営陣が居座った信賞必罰から外れた会社は、
品質不正や機密漏洩が続出して、物作りの能力が失われてゆく大企業病(官僚化)になります。
会社が余剰の利益を出したとき、それの受け取り手(stakeholder)は、
従業員(報酬UP)とか取引先(下請けの単価UP)とか株主(配当UP)とか政府(課税)とか生産設備増強などが居る、と言われる。
さて、これらは短期的には誰かが受け取ると誰かの取り分が減る、零和ゲーム(REIWA=ZERO SUM GAME)だ。
一般的に株主は、会社の発展を望むため、受け取り順位はincome gainとして最後だとも言われるが、
不明朗な経営介入(半インサイダー取引:semi-insider trading)などを繰り返して、
一部大株主だけがcapital
gainとして利益を優先的に受け取る
「ハゲタカ(禿鷹)」とも呼ばれる株主も居るかもしれない。
零和(REIWA=ZERO SUM)GAMEの説明はこちら:
「ビューティフル・マインド」:精神病と闘った天才数学者とその妻の半生
https://dayslikemosaic.hateblo.jp/entry/2015/07/17/011759
例えば 「襤褸を着てても心は錦」といったような人は、みんなで寄って集って嫌がらせや弾圧して潰して、
(組織犯罪/いじめ/リンチ/田中角栄:「数は力」「数の暴力」/ビートたけし:「赤信号、みんなで渡れば怖くない」)
世間の常識:「人は見た目が10割」に合わない人間を抹殺するといった証拠隠滅をして、見かけ上の常識の正しさを維持する。
そう、現代日本とは、人間を観察した結果から常識ができるのではなく、
常識に合わない人を抹殺して証拠隠滅し、見かけ上の常識の正統性を維持する、常識先行社会だ。
第二次世界大戦で敗走する日本軍が非人道的な人体実験を行った731部隊の証拠を徹底して破壊したり、
森友・加計学園の非中立的審査
(財務省の宦官らは「文章の趣旨が変わらないと思われる改竄は改竄でない」との詭弁を弄して責任逃れをした上、
「問題になるなら、公文書は建前などのみを並べて空洞化させ、公開義務のない私文書の形式で、
実質的に行政過程の経緯や記録の関連文書を管理して行政の不透明性を増進する」と嘯いた)や
カンボジアPKO自衛隊海外派遣
(防衛省の宦官らは「紙の文書以外は公文書でないと思ったので破棄して良いと思った」との詭弁を弄して責任逃れをした)で、
与党の説明に不都合な事実が含まれる公文書を公務員らが(国会答弁:「目配せしたら共謀」)共謀(忖度)して、
組織的に改竄および破壊したり、
ほとんどの公文書は、開示の手続きが故意に煩雑になるように制度設計して、
本来、国民の所有物である公文書を返却する行為に対して牛歩戦術を採用したり、
第48回衆議院選挙の選挙不正の全容が不明であるにも拘らず、
再選挙も不正再発防止策も策定しないまま現国会の正統性を主張し、議論無視で強行採決を繰り返すなど、
日本は、今も昔も、理屈に合わせて、不都合な事実を破壊して事実を歪曲させる苛政の国です。
(理屈や議論を軽視しての多数決、強行採決なんて、単なる暴力、リンチ、いじめに過ぎない。
一票の格差でも、きちんと地方と都市の役割分担とか理屈で議論できるのなら、居住地域で国家を分断する必要などない。
数の暴力ばかりが横行する素地があるから、レソト(選挙権被差別部落)を作らないと、
安心できないのは、基本的に卑怯や理不尽が横行しているから。
つまり、雇用が少なく既得権者の人権が守られる地方と、雇用が多く人権が守られない都市の縮図。
学歴信仰は、既得権を持たないサラリーマンだけの現象であり、
既得権がある人々は、賄賂を使って買った学歴で、既得権に箔付けをしたり、
金の力で、法律や正義を捻じ曲げて、学歴や論理や正義を踏み潰してきた。
つまり、経営やオーナーなど天上人は世襲。
いくら勉強しても、下人は、所詮、一代限りの秘書止まり、というのが、この世界の掟だ。
だから、天上人らは、学歴など本当は必要としていない。
秘書が大卒で、主人が中卒では格好が悪いから、形だけの学歴で、飾っているだけだ。
で、地方で雇用機会を失った人々が、レソト(選挙権被差別部落:都市)に流れ込む。)
(Law of
This World is anti-Noblesse Oblige.)
運悪く、リンチ/いじめ/組織犯罪の被害者になった人にとっては、
「己の欲せざるところ人に施す」自己愛性人格障害者/サイコパス(自己中心派)に囲まれた四面楚歌・村八分を孤軍奮闘で生きるわけですから、
「生きる」とは「『神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る』といった辻斬りに似た自己愛性人格障害(自己中心派)」という意味です。
【ボイスコミック】「人間回収車」
Part1
https://www.youtube.com/watch?v=BnvwAcdPnTY
ゆきおんな…隷嬢沙知
[松文館] | DLsite 成年コミック - R18
https://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ002538.html
「子供を殺してください」という親たち コミックバンチweb
https://www.comicbunch.com/manga/bunch/kodomowo/
それ以外に生きる方法、人の道は存在しません。
修羅として、他人を殺すこと、其れ即ち、生きることです。
人は裏切る、人は騙す。
でも、物は裏切らない、物は騙さない。
マイペースで仕事できれば、誰にも傷付けられずに作っていける。
精神病の治療に効果がある作業の一つは「土いじり」とも聞いたような・・・。
「『竹林の七賢』のように暮らせたら」と願う気持ちが精神病患者の気持ちでしょうか?
薬で思考停止した哀れな姿に、親族や友人からも呆れ、疎んじられ、
医者や行政の権威を笠に人権を否定され、
生殺与奪を医者や警察の気分に握られる恐怖に抑圧され、
「親族からも社会からも見捨てられた人間は、何のために生きればよい?」
それが、精神障害者が生きている世界です。
我々(生物、水の見る夢)の世界は有限のようです。
我々(生物、水の見る夢)の世界の取り得る状態数は有限のようです。
もしも、我々(生物、水の見る夢)の世界の取り得る状態数が有限ならば、
我々は、その限られた我々(生物、水の見る夢)の世界が取り得る状態数を、
できるだけ有効に使うべきなのではないでしょうか?
我々の能力や知識は、何のために充てられるべきでしょうか?
(全員一致の審決は無効というユダヤの考え方に学ぶ
https://note.com/shintaro_tajima/n/n050bef97de3a
「負担を意見決定に参加できる人以外に押し付けるナショナリズム(自己愛性人格障害、サイコパス、イジメ)」は、
しばしば、全員一致の審決になります。
自然破壊を御覧なさい。 自然は議会に代議士を送り込めますか?
好戦的な国家を御覧なさい。 仮想敵国は議会に代議士を送り込めますか?
好戦的な国民を御覧なさい。 彼らは国際社会に於いて援助に頼っていませんか?)
例えば寿命について考えてみましょう。
努力すれば寿命を延ばせるかもしれません。
しかし、同じ努力を余生の質の向上に振り向けることもできるかもしれません。
(余命1ヶ月の花嫁 https://eiga.com/movie/53964/)
我々は、我々が労力を割くべきではない対象に労力を割り振り過ぎてはいませんか?
我々は、その対象に労力を割く前に、その対象が労力を割くに値する対象なのかどうか、
時に振り返って顧みてみるべきなのではないですか?
障害用語の言い換えについて、「隠せば歴史は消滅する」ものではない、と思う。
Richard
Karl Freiherr von Weizsacker:
"Wer
aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest,
wird
blind fur die Gegenwart."
過去に目を閉ざす者は結局、現在に対しても盲目となる。
非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのだ…。
たいていの理想は完成形・完全形ではないから、一歩、間違えれば、「美しい理想」の美名に酔って
大虐殺や大弾圧に大量の人々を動員しかねない危険性を孕んでいる。
アメリカの民主党政権が恐れられているのは、その高い理想のためだ。
高い理想が、一歩でも間違っていれば、
強引に大量の人々を泥沼の戦いや虐殺への加担に誘導することになる。
ベトナム戦争が、そうだった。
福祉でも完成などしてはいない。
呼称だけ変更したところで、中身は何も変わってはいない。
常に過去を振り返って、過ちを繰り返す恐れはないか、修正し検証し続けることが必要だ。
障害の名称を呼びかえることで、歴史の継続性が多く失われ、過去に障害に対して、
誤った差別や弾圧を行なった歴史が受け継がれにくくなり(焚書坑儒)、過去に対して盲目になって、
性懲りも無く、過ちを繰り返しやすくなった。
「覆水盆に返らず」。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う。
With
great power comes great responsibility.(Spider
man(https://www.marv.jp/)」に於ける、
大いなる責任とは、まず、一にも二にも自制、そして例外を設けない公平性が重要です。
大いなる力でも、小さな力でも、過ちを修復するよりは、過ちを犯さないほうが、はるかに簡単ですから。
大いなる力は、大いなる副作用を含みます。
馬鹿の暴走は悲劇を招きます。
せめて、「大いなる力の自由を制限する結果になるから」と、
大いなる力を行使する妨げにならないように、過ちを繰り返さないように一般化しようとするのを妨害して、
過ちを矮小化解釈しようとする、日本の政治家や財界(悪代官や悪徳商人Bourgeois)、韓国のような卑怯なことは止めましょう。
子供を学校や保育園に通わせることが、最も子供のことを考えていない有害な行為だ、と思う。
哺乳類は、最初の基礎的な教育を、親子で知識の伝達をする。
そのため、子供が特定の信頼できる人物を親と認識し、
その親を全面的に真似することが、知識の伝達や精神の安定に不可欠だ。
だから、子供が全面的に真似できない、身勝手な他人が世話することは、
将来的には、子供が馬鹿になり、かつ、子供が犯罪を行う原因となる。
子供を支援したいのなら、子供に自我が発達するまでは、遺伝的親子を支援すべきだろう。
だから、精神病の多発や犯罪の多発や知性の劣化の元凶は、主に学校や保育園や児童相談所などにあるのではないか?
(そもそも、まず、生物学的に子供の養育義務や権利は、肉親に所属する。
よって、その基本的状態から乖離させて、公的機関が養育に介入する場合(stolen children政策)は、
公的機関(養親)の権利は、肉親よりも厳しく制限され、また、責任も肉親よりも厳しく負うべきだ。
公的機関が、「その意に沿わないから」と、肉親を“monster parent”などと侮辱するような行為も、厳しく糾弾されるべきだ。
量刑のバランスとして、少なくとも同等の虐待があった場合、責任の重さは、
(公的機関)>(一般人)>(肉親)
の順序となるべきだ。
資格の必要ない肉親の権利を制限する以上は、
有資格者の責任は大幅に高められねばならない。
責任とは、「資格取得の高難度化(教育村の利権拡大)」という意味ではない。
責任とは、「不祥事があった場合の刑罰の厳罰化(業務上過失)」だ。
また、有資格者や公的機関の「守秘義務」は、彼らの不祥事隠蔽や保身に利用されてはならない。
だから、守秘義務の対象となる事柄は、後世の歴史的検証に耐えるように、記録され、
時期をみて、必ず、開示されねばならない。
記録の不備があった場合は、無過失を証明できない限りは、推定有罪の原則で責任を負わせるべきだ。
そして、その秘匿期間中は時効が停止するし、秘匿期間中も賠償の利子は複利で増え続けるべきだ。
教員の不祥事に甘過ぎる。
少なくとも、一般人による学校外、施設外での犯罪よりは、はるかに厳しく罰せられるべきだ。
虐待を受けたとしても、被害者が加害者に生活を扶養されていれば、被害者の生活のために加害者への抗議も限られる。
だから、精神病院(施設)などに依存し保護を求めるしか選択肢が無い精神障害者(被保護者)と、
親などに依存し保護を求めるしかない子供は同じ関係にある。
しかし、生物学的に、親と子供の関係は避けられないから、
この関係に於いての虐待(殺人=中絶を含む)は多少、是認されざるを得ない。
しかし、社会制度として設けられた、精神病院と精神障害者、学校(教師)と生徒、児童相談所と児童の関係は必然的なものではない。
だから、社会的に人工的に設けられた、この関係に於いての虐待は一切、是認され得ない。)
休息や自由のない暴力と脅迫ばかりで行なわれるスパルタ式教育(Spartan education)の積み重ねと、
性報酬の無期限の先送りによって、就労可能期には、子供は、燃え尽きて(burn out)しまう。
ゴミは集中処理でも良いかもしれないが、
人類の未来を担う人間の子供を、ゴミのようにベルトコンベアーに載せて集中処理して効率化しようとする感覚は、
如何にも冷たく非人道的だ。
また、個々の世帯の多様性を、施設での国策洗脳で画一的に塗りつぶそうとする感覚(stolen children政策)も、
如何にも専制独裁国家的だ。
もっと、働くことより、家庭を大切にし、育児を大切にすべきだ。
投資の観点から言えば、社会は(商売繁盛を経るなどして)子孫繁栄のためにある。
社会は、「子供を育てる」もしくは「適切な配偶者と巡り遭う」ために運営されるべきだ。
不登校は「身を守る手段」 いじめ…?まずは休ませて
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201811/CK2018110902000216.html
いじめに理由など無い。
理由があるとすれば「弱いから」。
それだけだ。
ま、弱肉強食(Sabato)というだけ。
子供って実は、体力差が著しい。
ほとんど大人の肉体を持った人間が、まったく法律も倫理観もなく、
幼児ほどの人間を虐待して遊ぶ場所が学校。
即ち、力の弱い、成長の遅れた子供にとっては、学校は(倫理的・道徳的な)悪魔の巣窟に等しい場所だ。
学校で学ぶことは、「殺されたら、殺されたヤツが悪い」。ただ、それだけ。
日本社会は、罪刑法定主義でないから、
法律に書いて無い事でも罰せられたり、法律に書いてあることでも免罪されたりする。
罪刑法定主義でないから、正直者は馬鹿を見るんだよ、日本では。
いじめなど罪刑法定主義でない典型例だ。
つまり、法律的に正統な根拠があることのみを処罰したら、処罰できないから、
法律的に根拠がないことでも、「目障りだ」と言いがかりをつけて(過剰)処罰する。
で、学校側も、犯罪者が多過ぎて処罰の影響が大きいから、黙認する。
それが、いじめの実態だ。
まあ、「社会に出たら、いじめなんて珍しくないから、学校の内に免疫を付けておけ」というDQNも多いが。
学校というものは、学校だけでは完結しない。
つまり、前提として、社会というものがあって、その中に学校がある。
学校の中だけで、社会から遊離した教育をやっても、実用性が低い。
かといって、封建独裁時代同然の日本社会の実態や要求に合わせて、
封建独裁制度同然の学校では、未来も暗黒に向かうだけだ。
社会人として独立するために必要な「金を稼ぐ」ということは、
誰かが、「その行為は対価を払うに値する」と考える行為を提供することだ。
「対価を支払うに値する行為」は、時々刻々と、需要と供給で変化してゆく。
学問は考える下地を提供してはくれるが、
時々刻々と変化し続ける「対価を支払うに値する行為」にすばやく追従できるだろうか?
「大学レジャーランド」などと揶揄されたのに、大卒で成功する人がいたのは、
主に、「自ら決断して実行してみる習慣」を得たことに拠るところが大きいと思う。
親が子供の人生に関して責任を持てる自信がなければ、
まあ、学校教育に委ねる選択も、あながち、間違ってはいない。
でも、学校は、完全無欠の万能ではない。
教育と洗脳には、何となく似ている側面が強いような…。
基本的に「先生」は、赤の他人。
その赤の他人を、無警戒に信じ切る…。
「優等生」が、カルト宗教(オウム真理教)の幹部に、
次々と引き込まれたのは、偶然ではない気がする。
「優等生」が、ロボットのように、異様な学校の校則を厳守することを自他に勧め、
先生のことを、一目惚れのように見つめる姿を、
「カルト宗教みたいだ」と感じないのは、異様だろうか?
学校の中で、先生を、「生徒と同じ欠陥もある対等な人間」と見做して、
先生の揚げ足を取って笑い者にする一般常識を校内で発揮すると、
しばしば「不良品」という肩書きをもらえそうな気はするが・・・。
精神病院の中でも、院長を筆頭とした異様なカルト的な…。
だいたい、「心理治療施設」の名前からして、宗教的な。
(GE社(https://www.ge.com/jp/)の創業者である発明王エジソン(Thomas Alva Edison)は、
教師のペースに沿った教育に順応することが困難(自己愛性人格障害/サイコパス)で
教師に不興を買って
「なんて空気読めない(KYな、生意気な)憎たらしい餓鬼だ。
独裁者気取りの俺様が行なう殿様商売のMass Gameへの忖度が下手とは…。
説明するのが面倒だから、こんなヤツに教えたくない。
俺がデモシカ教員になったのは、自己愛性人格障害なDQN向けの気楽な稼業として
鉄腕給料をもらいたいだけで、仕事などしたくないんだ。
こんな糞ガキは、精神病(発達障害/ADHD/Higly Sensitive Child)である」との烙印を押され(レッテルを貼られ)、
学校や教員の官僚的事勿れ主義の方針や説明に疑義を感じた親(Monster Parent/DQN親)が、
子供のペースに沿った教育を受けさせるために家庭教師を雇った。
人間は神様じゃないから、いくら可能性があっても、すべてに投資するだけの財力がない…。(Triage)
余裕が少ないときは、大きな投資は負担になる。
知性が大きいと、教育投資も大きくなる。
現代日本では、能力本位ではなく、何でも年齢で人々を区切るから、一にも二にも早熟なことが有利だ。
知性の高い子供は、現代日本では、「不良品」なのでは?
知性が高い子供は、教育投資が多く必要、即ち大器晩成だから、
軽・薄・短を良しとする現代の日本社会には、そぐわない。
また、エジソンのように、教育投資が多く必要な子供は、周りより成長が遅く見えるため、
個性を軽視した横並び同調競争を重視する現代の日本社会では、いじめの格好の標的となり、
性格が歪みやすく、きちんと育てるのは負担が大きい。
また、現代日本のように独裁社会では、独裁者にとって行動の予測が簡単な馬鹿が好まれる。
だから、独裁者にとって不安要素となる知性は、最も危険視される対象であり、
知性こそ独裁者の敵とも呼べよう。
学歴逆差別というリンチが好まれる現代日本では、知性は目障りだ。
せめて馬鹿の振りを演じる御馬鹿タレントで無ければ好印象は与えられない。
「馬鹿だけど、必死に頑張っています」という忠犬のような姿勢が独裁者好みだ。
独裁者にとっては、知性など危険なだけの無用の長物だ。
独裁者が部下に求めるのは、力と忠誠のみ、チンパンジーのような人物だ。
(一般的に、日本の経営者などに「赤い100円のリンゴが存在する」と話すと、
論理が理解できず、語尾のみを掴んで
「『赤い』と『100円の』は、論理的に矛盾する、統合できない」といった反応が大多数なので、
「『赤い』と『100円の』を同時に満たすリンゴがある」と考えることは、
日本国内の多数決では「統合失調症」という精神病に相当する。)
もともと、日本の学校教育は「軍事教練」の意味合いで始まったため、
独裁の受け入れ訓練(臣下としての忍耐や服従など思考停止訓練)といった要素が重視されている。
だから、本や通信を介した自発的な学習ではなく、
通学に困難や危険を伴ってでも、毎日、収容所に強制的に通わせるなど集団行動を極めて重視している。
日本の教育では、
「人は生き物は自然から始まった。真の教育は、自然の中にある、子供に自由を与えよ。
子供の生きる力を信じよ。一個の新しい個性として対話せよ」
という思想は危険な異端思想であり、
「人は獣同然だから、子供から徹底して自由を剥奪し、洗脳と管理による調教が必要だ。
子供から思考を奪え。教育は本と檻の中にある。
完全に道具と見做せるように暴力による威嚇威圧を以て命令に服従させよ」
という主張が標準的な教育思想である。
また、日本の教育内容は、天皇を頂点とする独裁者の権力の正統性を臣民に教化するために選別されている。
だから、「一人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄になる
(映画「殺人狂時代」Sir
Charles Spencer "Charlie" Chaplin、Orson
Welles)」
「One
murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify(イギリス国教会の牧師、Beilby Porteus)」
「百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ(ドイツ、Adolf Otto Eichmann)」
「ひとりの死は悲劇であるが、万人の死は統計でしかない(ソビエト連邦、スターリンИо́сиф Виссарио́нович Ста́лин)」
という「英雄」の殺人闘争の経緯を主要な教育内容とし、
「法律を知らなくとも、法律は適用される」とも言われる法律に関する生活に必要な教育は為されず、
労働基準法違反の賠償請求や交通事故の示談交渉のやり方や隣の芝生のNO税額の検証方法のような
国民が自らの権利を守るために生活必需な教育すら為されない。
学校とは、云わば、子供を囚人とした刑務所だ。
だから、学校での優等生とは、模範囚、すなわち「刑務官に寝返った裏切り者の囚人」を意味する。
「知識の伝授」とは知識を並べることだけではない。
知識の伝授には、その様式も考慮する必要があるのだ。
#define 「発明」 ≡ { 勉強とは仕事のためにするものだ。
仕事とは煩悩(本能)を満たすためにするものだ。
無から発明は生まれない。
「沢山の知っている知識の破片などを基礎として、
煩悩(本能)を満たす目的で、幾つかの知識素を組み合わせた物」を「発明」という。
(Invention
≒ Search of Shortest
path problem, when there are shortcuts in the paths.
/ Path that satisfies the instinct /
desire / purpose
/ Shortcuts ≒
Know ledges learned in the past.)
(経験から収集・抽出された相関関係、因果関係の知識素が、
「煩悩(本能)の達成」という問題解決の目的のために動員される。
人間の脳には、その当初から経験から相関関係や因果関係を探索する機能が
遺伝的に組み込まれているかのようだ。
(Correlation
/ Causal relationship extraction function from experience
/
Interest to Correlation / Causal relationship (Hebb's rule ?)
≒ Genetically
Innately congenital pre-designed ?) :
Gestalt Psychology ?)
「発明」とは煩悩(本能)を満たす目的のために行う行為ですから、
同じ目的が果たせるのなら、簡潔であればあるほど良い、と評価すべきです。(Occam’s razor)
発明でも技術でも、難しさを追求するためにあるのではありません。
(技術者の自己満足、
凡愚にもその技術の有用性が理解できたり運用できるような知識体系の完成、完備化)
Engineer's
self-satisfaction ≒ (In
order to Promote Inheriting knowledge /technology,)
Present Usefulness of Knowledge /
Technology
in an
easy-to-understand manner.
Eliminate blind spots of Knowledge /
Technology.)
発明や技術は、「煩悩(本能)を満たす」という目的を達成するためにあるのです。}
SNS沸騰の「球状歯車」 全方向無制限駆動で人型ロボットに衝撃
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01735/00001/
空飛ぶ殺人ロボット、戦場で使用か AI兵器、世界初?
https://www.asahi.com/articles/ASP6R7FDQP6RUHBI00R.html
AIドローン兵器が勝敗を決したナゴルノ・カラバフ紛争の衝撃
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66160
人間よりAIの上司を信頼する国ランキングが発表される - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20191122-ai-boss-employees-trust/
もともと、蝦夷でもアイヌでも朝鮮でも中国でも、西欧の価値観体系や大和朝廷の価値観体系の内側に存在していたのではない。
彼らは、彼らの価値観体系を持っていた。
彼らの価値観体系の内側では、我々が知っている「歴史」は、別の観点から定義される。
我々が知っている「歴史」は、アヘン戦争に勝利したことで、中国を屈服させた人々が定義している「歴史」だ。
言っておこう。
パレスチナで起きていること、クルドで起きていることは、殺人などだ。
しかし、それを「戦争」と呼ぶかどうかは、他人が付ける名だ。
君にも父や母も居るだろう?
君の父や母は、歴史の教科書に載っているか?
歴史の教科書に、君の父や母が載っていなくとも、君の父や母にも人生があったことを、君は知っているはずだ。
君の父や母にも人生があったから、今、君は存在するのだ。
歴史は、殺人鬼の駆け引きだけでできているのではない。
そういった歴史の整理の仕方は、西欧式や大和朝廷式の歴史認識だ。
「無主の地」など存在しない。
「無主」とは、「『白人』と云う人権が適用される人種が存在しない」と云う意味だ。
日本国内で、苛酷な課税の結果、税負担に耐え切れず、過疎になった地方や、
苛酷な労働環境の結果として疲弊して人手不足になった日本は、
別に、本来、過疎や少子高齢化や人手不足の国ではない。
それは、天皇を囲む上級国民らが、下級国民を搾取し犠牲にし続けて、
酒池肉林の浪費を続けた結果に過ぎない。
日本の地方が「無主の地」になったのは、日本政府の苛政の結果に過ぎない。
満州国も、人権のない中国人を虐殺し続けて作られた「無主の地」だ。
満州国が「無主の地」になったのは、日本政府の苛政の結果に過ぎない。
日本に於いて、「無主」とは、「『上級国民』と云う人権が適用される人種が存在しない」と云う意味だ。
「動物園」という自然展示の仕方には問題が多いように思う。
でも、自然に学ぶことは基本のような気がする。
まず、生態系がある。
で、人間も霞を食っているわけじゃないんだから、実は人間も、その生態系の一員だ。
で、「生態系の人間以外の所にいる住人は、どんな生活をしているのでしょうか?(他山の石)」
と参考にして、人間がどのような立場として生態系に参画すべきか、考える…(他人の振り見て、我振り直せ)。
子供向けには、奇抜な動物や人間とコミュニケーションが容易にできる動物は、興味を引きやすいので、
それはそれなりに入門用としては意義があるのかもしれない。
動物園に行くと、その動物の生態系中での自然な日常生活から切り離されて、
「コンクリートの檻」という空間に場違いな雰囲気で、ぽつんと寂しそうに居たり、イライラして居る。
糞尿の臭いも立ち込めていて、何だか、刑務所や精神病院みたい…。)
子供の最終責任者は誰であるべきでしょうか?
「政府による西欧列強崇拝の価値観の刷り込み画一的な子供の養育を、親が支援する」のではなく、
「多様な親による多様な子供の養育を、政府が支援すべきだ」と思いますが?
で、子供の代理人・保護者は、何歳まで必要なでしょうか?
5歳未満のような子供なら、代理人・保護者の意見は重視されるべきでしょう。
だが、15歳以上のような子供に、そんなに代理人や保護者が必要なのでしょうか?
19歳の子供の意見は、無視されるべきでしょうか?
「子供にとって学校は仕事のような物」かもしれないが、
そもそも、人生の目的は仕事じゃない。
時には、仕事を休んでもよいと思う。
休暇には、そもそも何のために仕事をするのか(学校へ行くのか)、
我、振り直す意味もあるのではないか?
人生は、会社のためにあるんじゃない。
人生のために、会社がある。
本来は、そういった順序であるべきだ。
会社がなくとも、人生を決められるように、
学校がなくとも、教育を受けられるように、
そのようにありたいものだ。
自らの人生の時間の、どこを仕事に、また、別のどこを休暇に振り向けるか、
自らが自らの人生の主人公として決定できる方向を目指したいものだ。
「学校を休んだから、いじめられた」のだとすれば、責任は親ではなく、学校にある。
「学校を少々休んだから、勉学に落ちこぼれた」のだとすれば、責任は親ではなく、学校にある。
そのような過酷な通学を要求しなければ、教育責任を果たせない学校ならば、その学校の能力は低過ぎる。
無責任で無能な教師に、無責任で無能な学校。
権利ばかり主張して、責任を果たさない典型例だ。
最近もそうだが、教員が低脳過ぎる。
教員が、まるで鼻垂れ小僧のように、ぶつぶつ不平ばかり一丁前で、仕事もできない餓鬼だ。
はっきり言って、今の教員は、腕力が一番強い、いじめっ子、糞餓鬼だ。
「%」も判らないような生徒を卒業させた高校など廃校で十分だ。
教育者と経営者に境界はあるのだろうか?
会社とは、人で成り立っている。
人を人として一個の個性として配慮し尊重する。
しかし、現実の制約もある。
理想のために、現実を変えることには困難が大きい。
現実に許された枠内で、理想に最も近付けようとする。
人々の協力や努力で少しは現実も変更できるかもしれない。
「夢を持つこと、そして人を人として扱うこと、そういった当たり前のことを当たり前にする」。
ただ、それだけのことが難しい…。
「人を率いてゆけるだけの理想を持てる人間…」。
教育者と経営者(指導者)に必要な資質とは、こういったことなのではないか?
本来は、教育の主人公は、親であるべきだ。
だから、学校とは、「親による子供の養育の補助」という位置付けであるべきだ。
子供に何かあった場合、その最終的な保護者は親になる。
極端な場合、子供が引きこもりになったような場合でも、親が多くの負担を背負うことになる。
子供が引きこもりになっても学校は責任など負わない。
子供が経済的に困窮しても、学校は子供の経済的な支援もしない。
子供の人生全体に渡って、最も責任を引き受ける親が、子供の養育方針決定の主人公だ。
子供が卒業したら、「後は野となれ山となれ」と責任逃れをする学校に、親の養育方針に口を挟む権利はない。
人とは、自分で決めなかったことに関しては、責任を負いたくないものだ。
自らの人生を「自らの人生だ」と実感するためには、
自らの人生の最終決定、最終決断(Final answer、https://theriver.jp/wwtba-millionaire-ends/)は自ら決めねばならない。
「口を出すなら金も出せ(責任を負え)、金を出す(責任を負わせる)なら、口も出す」。
現在の教育は、強制力(処罰)を多用する。
要は、「力ある者が支配し、力なき者は従え」ということだ。
だから、力負けした時点で主従が交代するのは、現代教育の基礎中の基礎だ。
李光洙(イ・グァンス):「文明とはまさに力であり、力はまさに正義なり」
金正恩:「文明とはまさに核ミサイルであり、核ミサイルはまさに正義なり」
日本:「文明とはまさに金銭であり、金銭はまさに正義なり」。
(Intelligence
of Homo-sapiens is a Violence, and
Justice of Homo-sapiens is just exactly
a Violence(Logic of Slam).)
親と子供の力関係が逆転した時点で、子供が親を殺すのは現代教育が最初に教えることだ。
論理ではなく、数の暴力で、悪を正当化してきた老害たち。
力に頼っただけの秩序など、力が失われれば、どうなるかは、よく判っているはずだ。
また、教員は言動不一致が常態化している。
だから、当然、教員は、身を以って、「嘘こそ現代社会の基礎である」と模範を示している。
また、教員は自分だけ、さまざまな自由の恩恵に浴すが、子供からは理不尽に自由を奪う。
「強い者が、女子供など弱い者を搾取するのは、当然だ」
「口先だけ『保護している』と強弁すれば、
『権利の上に眠る者は保護に値せず』だから、障害者や子供など標準的な規格品人間(金太郎飴クローン)以外に人権など存在しない」
(もともと、「精神障害者」とは、ベルトコンベアーの発明に伴って、大人しくベルトコンベアーに並べられない個性的過ぎる、
クローン(健常者)でない規格外の人間として発見された、とも言われている。
KY(同調圧力への同化下手)≒「統合失調症」。
ベルトコンベアーの発明などに代表されるように、人間社会は高度な分業化が始まった。
その結果、各個の仕事内容に応じて、
「自らの仕事の中に倫理的問題や法律的問題に抵触する部分はない」と信じたい人間の
心理学の防衛機制:「合理化」に基づいて、自らの職務内容近辺だけは、違法部分はない、倫理的問題に抵触する部分はない、
と自らの精神的負担、倫理的負担を軽減するために、自らの罪悪感を欺く、職能別の価値観に分化した。
その結果、他の職種から眺めると、別の職種の価値観の内部に犯罪的な部分があるように感じられるようになった。
複数の職種を渡り歩いたりすると、複数の異なる価値観を渡り歩く結果となり、
どの職能の価値観から見ても、異常な部分があるように見える、異質な価値観(思想)を形成してしまう者が生じた。
本人自身も、社会のどこかに居場所を見つけようと努力するのだが、無数の価値観が組み合わさってしまうと、
もはや、社会のどこにも、その価値観に類似した価値観(思想)の人々が集合している場所、集団が存在しない。
そのようにして「社会の中に居場所を見失った価値観(思想)」を「精神病」と呼ぶのではないか?
「人間は一本の葦に過ぎない。 だがそれは考える葦(roseau pensant)である(Blaise Pascal)」
こういった御託を並べているような人間は、個性的過ぎてベルトコンベアーに並べられない。
当初、そういった大量生産大量消費の使い捨て文明の経済活動に相応しくない労働者として、
精神障害者は発見された、と聞いた。
(個性(精神障害者)的な傾向が強い者が、
単調作業への不快感やレミングや飛蝗のような非論理的な強い同調圧力への不安感を減らして、
より無思考画一(健常者)的な行動をしようとする鎮痛剤的な便法が、「音楽」なのかもしれない。
音楽とか麻薬とかは、基本的に自慰行為だ。
音楽産業とは、風俗産業の一種だろう。
「大衆芸術」とは、快感を売り物にする仕事だ。
基本的に楽なほうへ楽なほうへと堕落と犯罪を推奨するのが、売れる大衆芸術のコツだ。
(統率の取れた群集行動によって、群れは恐竜のような単一の巨大な個体のような振舞いに転じ、
小さな個体の合理性など簡単に踏み潰せるようになる。
阿呆鳥や旅行鳩やトキ(Nipponia
nippon)の群集に於いてもそうだが、
群集に於いての個体の適応度は、
個々の能力(IQ)よりも、群集を上手に乗りこなせること(EQ)が優先される。)
音楽を聴くと創造力が損なわれるという研究結果
https://gigazine.net/news/20190304-listening-music-damage-creativity/
Background
music stints creativity: Evidence from compound remote associate tasks
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/acp.3532
目の前の現実や事実は、すべて未来が暗黒へと向かっていることを示唆し預言しているとき、
その不安感に対して目を覆い、理不尽への不満に対して耳を塞ぐ阿片(向精神薬、ADHD治療薬)のような便法が、
テレビなどの大衆娯楽のような気もする。
音楽は、One
Phrase政治、感嘆符を伝えるのには適しているが、
数学の証明のような難解な論理を、音楽で伝えるのは難しそうだ。
しばしば音楽は、軍隊などで団結心を高揚させるのに用いられる。
音楽を通じて共感することで、同調性を高め、個性を抑え、集団行動を容易にする。
音楽は高い同調圧力を不快に感じにくくする。
音楽の形になっていると、政治批判と受け取られ難いから、検閲を避けやすそうだ。
論理だと正確な分だけ、検閲を大きく受ける。
今の日本でも、検閲に悩まされている。
現代の日本では、まず、どのように検閲を通過させるか、が重大な問題になる。
そのため、論理の様式では、ほとんど言論の自由が無い。
音楽が割合、自由なのは、そういった検閲が少ないからだろう。
普通に論理で押すと、結局、自らの利益になるかどうかで、門前払いを受けるから、
誰も、他人に関心を持たない。
音楽は、それだけで人を感動させられるから、論理より人を呼び込むための敷居が低い。)
(要は、当初定義:「ベルトコンベアーで働かせられないけれど犯罪者でない人間」≒「精神障害者」)
で、UFOだの超能力や超常現象が「『超常』心理学」に分類されているように、
現在、統合失調症や鬱病などの定義が明確になるに連れて、
「人格障害」のような定義の輪郭がはっきりしない所に、
分類困難な病気が、全部、放り込まれて定義が意味不明になっていっているように、
精神病も「定義の曖昧な難病」ということで、何でもかんでも放り込まれて定義の輪郭がぼやけていった。
(もともと、「精神病の治療」とは、患者に非人道的な虐待をして、麻薬や覚醒剤のような薬物漬けにすることだから、
最初が、どんな人間であっても、治療の終着駅は依存性薬物中毒症≒廃人≒統合失調症に落ち着く。
治安当局の勧めや、自ら症状を訴えて、精神科を受診した人に、
「あなたは精神病ではない」との診断を下す精神科医など皆無だ。
精神科医は、「精神病の治療」については専門家かもしれないが、
「精神病の判定」に関しては、まったくの素人だ。
ある意味、精神科の既往歴など、誰でも付けようと思えば付けられる。
問題は、国民の福祉がなおざりにされている現状だ。
現実に、どこも健康的で文化的な最低限度の生活(憲法25条)ができる水準で雇用せず、
今、生活できない問題があるときに、誰でも福祉を受給できる方便は、「精神病」くらいしかない。
(社会保障費を抑えるための詭弁が「心療」と「精神」の差だ。
診断が心療系なら、障害者年金は支給されにくい。
診断が精神病なら、障害者年金が支給されやすい(特に統合失調症)。
診断が心療系で受けられる生活支援は、障害者年金ではなく、主に厳しい制限が付く生活保護になる。))
若者、バカ者、よそ者にInnovation(発明、改革)に伴うRiskや既得権者の反発を押し付けて
甘い汁だけを盗もうとするのが健常者だ。
いざとなれば、不特定多数の中に逃げ込めば、責任追及も甘くなる。
「指示待ち人間」≒健常者、
「カルロス・ゴーンのように、自発的に動く自ら決定する個性的な自立した人間」≒精神障害者。)
「思いやりとはバカがすることである」
と身を以って範を示している。
高等教育は、自我の確立した自己決定の責任を自身で負える学問が好きな人のみが自分の意思で選択するので、
学問のための学問でも良いだろうが、
義務教育は、自我の確立していない自己決定の責任を自身で負えない幼い全国民が履修するのだから、
教員は知識のみならず、人間的にも模範となるような人物であり、
その教育内容は、その後の人生での社会人人生にスムーズに橋渡しされていなければならない。
だから、社会人経験を積んで、社会が国民に対して必要としている能力を肌で知った後の人物のみが義務教育は担うべきだと思う。
いくら、子供のお守りが上手でも、子供を導いてゆくべき方向を経験していない、学校以外の環境を経験していない、
子供が大きくなっただけのような教員、子供が子供を教えるような教育は、義務教育には、極めて有害で不向きだと思う。
共同生活を営めるほど信用でき心を許せる相手は、近親婚とか同業者婚とか、
圧倒的な力の差で配偶者を支配する人格障害的な奴隷婚が増えてきているようだ。
「現実の社会の汚さ、大人の卑怯さを実感して、社会への入会を窓口拒否すること」を、
「ピーターパン症候群」「現実逃避(世捨て人)」「ひきこもり(隠遁)」「学者になる」「潔癖症」などと呼ぶのでしょう。
暴力でも権力でも、相応の正義に裏付けられていなければならない。
正義の足りない暴力、正義の足りない権力など犯罪に過ぎない。
では、君が駐車違反をしたとしよう。
ならば、君を殺しても良いのか?
「暴力が正義の実現のために最小限度、与えられた」と思えば、そのように振舞うだろう。
しかし、「どんな理不尽な要求でも、暴力さえ使えば叶う」と思えば、そのように振舞うだろう。
人間は、意志の無い物体ではない。 学習もする。
自らが受けた扱いを以て、社会とは何かを理解するのではないかな?
己の欲せざる処、(他)人に施す無かれ。(論語)
子供は、親への期待に絶望すると、教員などに頼って逃れようと画策したりしますが、
残念ながら、そこに救いはありません。
なぜなら、選挙権など政治的権力を握っているのは大人だけです。
ですから、精神病院の真の顧客が、患者の生殺与奪を握っている親族であり、
患者が、「治療」というサービスを売りつける口実であるように、
教育界も、真の顧客は子供ではなく、親です。
子供は、ただ単に、教育商品を流す流路、口実です。
もちろん、児童相談所にも同じことが言えます。
児童相談所にとっては、子供は商品に過ぎません。
ですから、人身売買の販売先の都合を最優先に考えます。
人身売買の購入先は、手垢の付いていない子供を購入したいのです。
余計な記憶が付いた子供は販売価格が下がります。
ですから、「できるだけ真の肉親から、養育に挑む機会を奪いたい」、
これが「児童相談所」という人身売買組織の希望です。
「親から危害を加えられて避難したい」といった自らの意思を持ってしまった子供を
人身売買でもすれば、今度は、養育者が虐待を告発されかねません。
ですから、自ら危機を訴えるような成長した子供の販売価格は下がります。
ですから、児童相談所は、顧客(養育者)に良質な奴隷を調達するために、
ほとんど「虐待の疑い」程度の嫌疑で自我も未熟な乳幼児を拉致したがるのです。
選挙権を持たない子供や、合法的に監禁すらできる精神障害者には、法律的には人権などありません。
ですから、子供や精神障害者相手の約束、契約など、犬を相手に結んだ「口約束」と同等な存在です。
彼らを相手に結ばれた契約や約束など、単なる空文です。
「秘密を守ります」などと言われても絶対に信用しては、なりません。
それは、秘密を聞き出すための嘘に過ぎず、すぐに約束を違えて、広められてしまいます。
彼らには、
「約束や契約違反を見破られないように、秘密を聞き出した『弱者』に対しては、横並びに緘口令を敷け」
という暗黙の合意があります。
なぜ、彼らは、秘密を聞きだそうとするのでしょうか?
それは、彼らの都合です。
彼らは「『弱者』の保護」を仕事としています。
ですから、「弱者」から「秘密」を聞き出せなければ、「仕事」ができません。
仕事がなければ、彼らは解雇されてしまいます。
もともと、彼らはボランティアとして自発的に「弱者」の救済をしているのではありません。
彼らは、「金儲け」のために、「弱者救済」を引き受けている担当者、下請けに過ぎません。
彼らにとっては、「弱者救済」は目的ではなく、金儲けの手段です。
ですから、形式として、自らの責任を逃れられるのなら、できる限り「弱者救済」など面倒な行為を省略して、
「金儲け」という目的を達成しようと考えます。
彼らにとっては「弱者」の人権など関心の無いことです。
彼らにとっては、「弱者」が大量発生して、仕事が繁盛し、そして、自らの責任を問われない範囲内で、
できる限り、少ない仕事(救済)で、たくさん儲かることが重要なのです。
ですから、彼ら福祉関係者や教育関係者など権力者らは、「弱者」から情報を聞き出そうとするときだけは親身な振りを演じますが、
「弱者」が彼らから情報を得ようと質問すると「守秘義務」とかいろいろ言い訳して、まったく「弱者」に情報を出してはくれません。
また、権力者らを「正義」と条件反射的に信じるように洗脳されている協力者(Sleeper cell)が無数に居ますから、
下手なことを口にすると密告されて「反乱分子」と目を付けられてしまえば村八分など不利益も大きいです。
皆、自分だけは攻撃の矛先から逃れようと、罪を擦り付ける代理の反乱分子(生贄/身代わり)を目の色を変えて求めています。
世帯が貧しいほど、世帯内の協調無しには、世帯は経済的にも破綻しやすい。
つまり、貧しいほど、「協調せよ」との圧力の必要性は高まる。
「糟糠の妻は堂より下さず」「まさかの時の友こそ真の友」。
逆に見れば、同程度の人間なら、貧しい世帯ほど不和は多く、
「虐待」などと口実を付けて示談屋介入する余地が多い、ということを示している。
要は、「児童相談所」とは、「貧しい世帯を突付いたり拉致ったりする仕事を生活の糧としている人身売買団体」だ。
親子を引き離すことは、子供にとっても大きなストレスですから、貧しさが世帯内不和の大きな要因なら、
貧困を口実にStolen
Children政策を執行するのではなく、世帯(母子)ごと支援、世帯を富ませることが最大の解決策です。
つまり、「(人権の債権者である)国民が(人権の債務支払いを要求して、人権の債務者である)経営者に逆らうのなら、
国民への福祉を削って、安価な労働力として移民で国民を置き換えるまでだ
(人権の債権者を殺せば人権の債務を踏み倒せる)」と主張する経営者らが、
法人税を納める代わりに企業献金(賄賂)で、政治家を買収して、政策を国民から彼らへの贈与政策、すなわち、
(逆進性の高い税の割合を高める一方で社会保障費を圧縮するなど)国民を搾取し、
(本来、市場経済に委ねるべき市場価格を、運用リスクを低めねばならない公的資金の介入で価格誘導して、
公的資金を高リスク運用したりして、資産家が背負うべきリスクを税金で尻拭いしたり、
恩恵が高所得者にばかりしか及ばないような企業の販売促進助成をしたり、
資産家の資産形成を支援するような税の減免したりする販売促進税制のような政策など)法人への贈与のような政策の結果、
国民が窮乏化し、その中でも特に著しく窮乏化して、
骨肉の争いのような惨状となった世帯をリンチいじめのように攻撃する政府機関こそ児童相談所です。
「各世帯が行なうべき養育を、政府が税金を徴収して、政府が代行する」。
それによって、何が増えるのでしょうか?
役所の仕事のみが増えます。
公務員が受け取る口利き料(手数料)が増えます。
官僚制が肥大します。(Max Weber)
必要なのは公務員ではありません。
必要なのは役所ではありません。
必要なのは、利権拡大、歳出の口実の新設ではありません。
必要なのは、教育村の利権拡大(教育村の私的財産の形勢支援)ではありません。
別に国民に新たな教育など施さずとも仕事なら既にあるのです。
必要なのは、その既にある仕事の待遇を改善することなのです。
安い人件費の仕事が人手不足に陥り、外国人を呼び込んでいる一方で、
日本国民に更なる「高級職」を強いるべく、負担を上乗せする必要はありません。
必要なのは、(大量の宦官らに囲まれた)独裁(政府)ではありません。
必要なのは、各世帯の収入、ゆとりです。
必要なのは減税です。
必要なのは、政府がかき集めた仕事を各世帯に返すことです。
必要なのは、政府を小さくして、減税し、各世帯を富ませることです。
たいてい、少年のときに読んだりするのが漫画とかアニメ。
そんな今までの歴史や経緯など聞かされても、面倒過ぎる。
若者とは、就職もあるし、結婚も控えて、人生の個人的展開の最も大事な時期。
そんな社会正義とか他人のことを構っている余裕はないし、
折角、目指していた良い身分が、革命で失われたら個人的損害は甚大だ。
「うるさい。黙れ。今のままで良いんだ。負けたヤツが悪い」。
ま、足元の土台を革命されたくなければ、誰でも、こう言う。
就職氷河期、犯罪でも何でもとにかく、結果として勝った人は、子供を作って親になった。
結果として負けた人には、子供など居ない。
就職氷河期の矛盾を訴える親は居ない。
居るのは、就職氷河期の勝利を、「偶然ではなく必然」と我田引水して、自らを正当化したい親の子供だけだ。
みんな老人になるほど、生き残った人は、もう、やり直せない人生、自分を正当化したいから、
「自らの過去の勝敗は、偶然ではなく、必然的だった」と言いたがる。
「私は勝つに値する人間だったから、勝ったのだ」と言いたがるものだ。
老人になって、もう、人生をやり直せなくなってから、
「私は、本当は勝つべきではない人間です。
私は、犯罪で、今の地位を築きました」など自己否定には、言いたがらない。
ましてや、それが子の眼前で恥をかかされて、子に軽蔑されたくない親や、
子に親から倫理的な負債を相続する負い目を負わせたくない親なら、尚更だ。
だから、基本的に若者は、親には負けたくはなくとも、現状肯定の保守バイアスを持つものだ。
「便女当番」 男子生徒の性欲処理に使われる当番制の学園公認の拘束肉便器係 - アダルトDVD・ブルーレイ通販 - FANZA通販
https://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/list/=/article=series/id=78176/
上記のDVD動画は、現在、日本が「理想の社会」として目指している方向性を示している。
「便所当番」というレッテルさえ貼れば、どう泣き喚こうと、それは「人」ではなく「野に居る獣(無主物)」だ。
「運も実力の内(game:
Russian Roulette:Luck is included in Ability,so is Japanese society also.)」。
「水に落ちた犬は叩け。(and Losers shall lose further because of
the first unluky defeat.That is the Japanese Rule.)」。
「最初に甘い顔を見せると舐められる(Give No chance to New charenger. / Be
unkind to foreign visiter.)」。
「十倍返しだ(This
is the war.Perfect victory or Perfect defeat.No wadon. Every act is an excuse
for war.)」。
(日曜劇場『半沢直樹』|TBSテレビ https://www.tbs.co.jp/hanzawa_naoki/)
よく就職氷河期の共食いの勝ち残りが好む言葉だ。
「籤運が悪く便所当番(搾取される側)に当選したのも能力不足
(game:Fruits
Basket:Luck is included in Ability,so is Japanese society also.)」
「水に落ちた犬は叩け。(and Losers shall lose further because of
the first unluky defeat.That is the Japanese Rule.)」
:これが日系財閥や自民党や公明党が「和を以て阿呆らしとす(Harmony is Absurd.)」といった
格差再拡大政策や格差を世襲させる身分制度の結果、国家を分断し内乱に導く悪質な再起不能社会を正当化するときの根拠だ。
日本で、今、金を握って日本を支配しているのは、暴力団だ。
泣き喚いて命乞いだの抗議したところで、暴力団のリンチの前では少数派だから、
多数決を無条件で神聖視する日本では、民衆裁判同然の司法での法律戦ですら勝てない。
昭和の頃の映画でも、
「はい、賛成の方、挙手願います。イジメられっ子へのイジメ合法化の動議は、賛成多数で可決されました」との
強行採決の場面が何度と無く描写されている。
判りやすく言い換えれば、田中角栄(自民党):「数は力だ(数の暴力)」、
ビートたけし(芸能界):「赤信号(組織犯罪)、みんなで渡れば(実行すれば)怖くない」として、
現代日本思想の主流派を占めるに至っている。
我が身の命かわいさに、「便所当番(生贄)」に仕立て上げられる口実を避けようとして、
「雉も鳴かずば撃たれまい」「出る杭は打たる」と、善悪や正誤、自己判断よりも、
まず、一にも二にも目立たないこと、自由への恐怖、中央値への逃避が起きる。
これが「強い同調圧力」の実体だ。
こういった個々の逃避行動が、合成の誤謬として、集団自殺や創造性のない社会といった結果になっている。
現在の日本の社会的身分が籤運で得た社会的身分の相続のみに拠っているため、
日本の社会的身分には、それに見合った資質を持たない人が就いている。
よって、彼ら不適格者らは、何とか現状の世襲的な社会的身分を手放すまいと固執して、
自己愛性人格障害/サイコパスな保身の目的で、漱石枕流な屁理屈を並べて、
権限に見合った責任を負う業務上過失ではなく、
憲法14条改正で栄誉、勲章その他の栄典の授与に特権を伴わせることを可能にして、
法の下の不平等を合法化して、逆に権限ゆえの免責を狙ったり、
その稼ぐ能力が世襲による機会の不平等によって得た理不尽なものであるがために、
その自信の根拠が、現有犯罪収益のみであるがために、
身分の購買や判決の買収など正義すら賄賂で買収できる社会を望んだりしている。
サラリーマンの最大の弱点は、親の仕事を継げない点だと思う。
将来の仕事が判らないから、仕事に合わせて転勤もしなければならない。
だから、親の遺産もほとんど継げない。
学歴を付けて、学歴を活かせる仕事があるのは東京だけ。
だから、東京に移住する気がなければ、学歴など、ほぼ、すべて無駄だ。
仕事から乖離した宙に浮かんだような学問のための学問のような教育など、
何の役にも立たない。
よく親世代は、
「俺は勤め続けて、子供を育てた。
なぜ、子供は俺の半分のことすらできないのか?」となじったりするが、
それは時代の流れを無視した意見だ。
昔と今は違う。
国民は、どんどん貧困に向かっているのだから、子供が親と同じことができるたら奇跡だ。
子供が親と同じことをする唯一つの手段は、子供が親よりもさらに凶悪な犯罪組織に加入することだ。
何も考えずに社畜生活しか知らない親世代は、何歳になっても、
過去に所属していた犯罪組織の、組織への反発が返るのを防ぐ自己責任教式の洗脳で、世間が見えていない。
だから、「ドレイガー」とか共産党みたいなこと言っている人を見かけると、
「そんな政治に頼らず、まず、自分で仕事しろ」となじってしまう。
でも、非正規を何十年もやって、人生の先行きが見えれば、もはや、自己責任の問題ではなく、政治の問題を考えるしかない。
どうせ、奴隷として使われ続けても先は見えている。
日本社会では「俺は形から入るほう」とか「人は見た目が10割」とも言われる。
ということは「見た目」に投資できる金が尽きた時点で、もはや、それは人間ではない。
「金が尽きた者は“人の形をしてる物”であり人間ではない。なんで理解してくれない?」ということだ。
(人間と動物の病気を一緒にみる医療を変える汎動物学の発想
http://www.nvlu.ac.jp/library/bookreport/bookreport-139.html/
動物園の狭い折の中での「常同行動」などと称されているが、
要は、その飼育環境は、人間でいえば、独房に終身監禁状態:「拘禁症状」ということだ。
動物にも、人間と同等もしくは、それ以上の意思があるかもしれない。
しかし、「人間」社会である以上は、意思があろうと、あるまいと、「人間」には自由を与える義務がある。
「人間」社会だから、「人間」の社会であるがゆえに、意思があろうとあるまいと、動物の権利は軽視される。
狼王ロボ(シートン動物記):https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494012671)
(植村聖容疑者も、漫画:カイジでもナニワ金融道でも、繰り返し述べられていることだ。
日本での常習的な手法だが、「村八分」という嫌がらせを繰り返して金銭的に疲弊させれば、彼は奴隷階級に堕ちるのだ。)
「見た目」に投資できる金が尽きたら、面接の必要な雇用は選択肢から外れる。
金持ち向けの店は入店を断られたり、店員が絶えず張り付いて監視したりして、消費生活の選択肢もなくなってくる。
景気悪化で、就職を先延ばしにした、雇用先のない(潰しの利かない)袋小路のオーバードクターなど、
「大した犯罪はしていない、でも、生活費が稼げない、目障り」といった人などが大量に精神病に流れ込んできている。
失業率を低く捏造して社会の不満を逸らしたい政府が、高学歴推奨を謳い、
で、今度は、会社では、新卒優遇、若者優遇。
会社と政府が一体となって人手余り世代を失業者となるようになるように騙し続けた(官民挙げての雇用のミスマッチ)結果の責任は、
すべて「政府や会社に騙されたお前やお前の親が悪い」「自己責任」。
単純に外国と失業率を横並びで比較するけれど、
高学歴の失業率と低学歴の失業率が横並びになるわけない。
「低学歴だから、妥協しろ」で、「低賃金の仕事の人材が足りないから外国人」。
低学歴でも高賃金が出るようにするのが本来の政府の仕事だ。
就職氷河期なんか高学歴なのだから、もっと超高給で雇わなければならない。
で、親戚も、勤務先会社とか給与だけで序列が決まるから、
出世した人ほど声がかかり忙しく機会だらけになり、
失脚した人には、親戚友人すら居なくなって、再起する機会もない。
出世した人ほど、すべてを委ねられる独裁社会。
失脚するほどと、加速度的に「水に落ちた犬は叩け」と、ますます負担のしわ寄せが加速する。
貧富の格差の最底辺として、子供すら持てなかった人々を、弱い者いじめとしてリンチして殺せば、社会の安定や結束など保てない。
子供を持てなかった人々には、子供を持てた人々と同等以上に報いなければ、社会の求心力は失われて、
社会は崩壊へと向うだろう。
会社から村八分にされた社員など、会社に対する恨みや復讐心しか持たないだろうし、
社会から村八分にされた国民など、社会に対する恨みや復讐心しか持たないだろう。
で、そういった環境状態なら、当然、共有利益など無視して、自分さえ良ければよい、
「己の欲せざる所を人に施す」だけの自己中心派、自己愛性人格障害者/サイコパス以外は、生き残れない。(共有地の悲劇)
そのようにして、閉鎖環境である地球とかフラスコの中のバクテリアは大繁殖の後、全滅するのだ。
日本社会とは、知識偏重でも、その知識を、「人類の健全な発展とは何か?」という考察のために使うこともできない愚かな社会だ。
「知識」とは、「独裁者の偏見を強行するための手段」と見做している愚劣な社会だ。
派遣など非正規の待遇の低さが問題になったときも、労働基準法違反が問題になったときも、
国民の人権に広く関わる重大な問題であるときに限って、その規制によって、今までの様式の代替をどうするかは議論されず、
その規制が、単なる国会のアリバイだけで、実質的には無意味化するように、規制逃れ対策は、故意に杜撰に放置され、
規制逃れを煽るような法律が制定されてきた。
公的な商売は、暴力団絡みなど犯罪に手を出せば、それが露見すれば大問題になって利益に影響する。
だから、本丸に責任追及の火の手が届かないように、トカゲの尻尾切りをするために、
そういった暴力団絡みなど犯罪の商売を、外注に括り出しているだけ。
大企業がよくやっている組織犯罪の卑怯な常套手段だ。
自民党公明党政権が卑怯を繰り返しているのも、日本企業の卑怯な体質を反映しているだけだ。
派遣でも、雇用責任の責任追及の火の手が届かないように、トカゲの尻尾切りをするために、
そういった犯罪者絡みの商売を、外注に括り出しているだけだ。
同じ看板が掲げられた建物の内部で、同じような仕事をしていても、
「所属」という肩書きが違うだけで、同一職場内で差別が公然と横行する、それが「日本企業」という職場だ。
就職氷河期、非正規雇用、芸能界の犯罪との癒着などの問題は、
日本の経済界が、自らの社会問題化しそうな必要部分を派遣とか下請けに括り出す卑怯な責任逃れ体質の結果、
事実上の日本経済の生殺与奪を握る者が犯罪者になり、犯罪者以外に金を持っておらず、
日本経済の真の支配者が犯罪者であるためだ。
例えば、一例として、正社員化逃れのための派遣切り対策/失業保険の詐取対策。
一般的には、「派遣社員/非正規労働者」と云えども、会社が必要として使ってきた社員ですから、
解雇すれば、必ず、代替が必要なはずです。
ですから、代替を使った場合は、「これは正社員化逃れ/雇用の調整弁だ」と判定すればよい。
本当は、使える社員なら、会社側は再教育の手間を省きたいですから、
ほとぼりが冷めたら(正社員化の義務がなくなれば/失業保険の給付が終われば)、
再度、似たような仕事をさせたいはずです。
例えば、労働者側に注目して、派遣終了後、3年以内とかに、再度、前派遣先と資本関係の濃い職場に派遣されたら、
正社員化の義務は継続していると見做して、即、派遣開始当初から、正社員化を受け容れる義務を負わせてはどうか?
失業手当の不正受給に関しても、例えば、労働者側に注目して、失業手当受給終了後、2年以内とかに、
再度、前職場に再度、雇用されたら、事実上、解雇の必要はなかったもの(解雇権の濫用)と見做して、
会社に、給付した失業手当の返済義務を負わせてはどうか?
非正規の正社員への転換についても、
問題は、「特定の哀れな非正規だけを救済する」という問題ではない。
非正規を多用する体質を修正する意味でも、
「『非正規が従業員の多くを占める』という状況が無期限に続いてはならない」といった観点が必要だ。
企業経営が不安定な身分の非正規従業員を必要とするのなら、
その責任は「非正規」という特定の身分だけにしわ寄せされるべきではないし、
しわ寄せするのなら、その分、「非正規」の最低待遇は、正社員の何倍もの高待遇で償われるべきだ。
具体案としては、特定の非正規について直近5年間継続雇用での正社員転換ではなく、
雇用全体に占める非正規の直近5年間での最少人数を、雇用期間順に、正社員への転換をするように義務付ける。
外国人を雇用している企業は、その待遇などを強制的に公表して、
日本国民を、それ以上の待遇で無条件で雇用するように義務付ける。
公務員の福祉採用枠である「中高新卒枠」も、福祉的な救済雇用に応募可能年齢を厳しく限定せず、
work
sharingとして、雇用期間に比例した確率で解雇して、
年齢不問で応募可能な失業者と定期的に入れ替える雇用に
模様替えすべきではないでしょうか?
日本人として日本国内で仕事をすると、とにかく無過失第一。
失敗すると次が無い。出世するのは「能力がある者」というよりは「失脚しなかった者」。
とにかく、何か問題が出たときに、どう責任を免れるか、もう、その一点だけ。
日本人が会社を休めない(労働生産性が低い)のは、休むと自分の仕事を同僚ライバルに教えないといけないから。
労働者保護が実質的に機能していない日本で、代替が居る社員になったら破滅するから。
会社内でも労働者間で厳しく競わされる日本企業では、
「仕事の手法」は、その従業員の競争力(評価)に直結するため、
当該従業員が、仕事を会社内で独占するための、当該従業員個人の機密に相当する。
そのため、日本の会社内では、「従業員間の協力」というものは原則として存在せず、
会社は「社員間の相互協力」という意味では組織としての体を為していない。
「従業員」とは、云わば、「社長」という取引先の下で競合する零細下請け企業状態だ。
「ノウハウ」は、飯の種だから、簡単には教えてもらえない。(Private Know-how = Ransom = Salary)
彼1人しか、「ノウハウ」を知らなければ、彼は一生、給与で差別化できる。
彼の「ノウハウ」が無ければ会社が回らないのなら、会社の事実上の社長は彼。
日本の職場は、そういった労働者同士の足の引っ張り合いが基本だ。
「職場」が、「時間を給与に変換する」目的ではなく、
「正社員」などの既得権を守るための防御合戦状態では、
労働などするどころではなく、まさに官僚化、大企業病状態に陥るのは当然だ。
精神障害者と健常者を分かつ唯一つの基準は金を持っているかどうかだ。
対処薬物療法と称して、適当に麻薬や覚醒剤を投与し続ければ、
最初が、不眠とか、どんな人間だろうと、
どうせ、治療の終着駅は対処薬物なしでは恒常性(Homeostasis)を保てない依存性薬物中毒症=廃人=統合失調症だ。
社会保険労務士が推奨する手法で、パワハラとかで社員を鬱に追い込んで辞めさせれば、
どうせ、労災など保険で支払済みだから、会社の経理への影響は微々たるものだし、
後は、植村聖とかが集る財政破綻するまで、社会保障を蝕む哀れな見世物として利用できる。
ADHD治療薬のリタリンの作用機序が、コカインとほとんど同じであることは有名だ。
かわいい我が子を麻薬漬けにした人質に取って、社会保障を食い物にして、マザーズ上場するとか製薬会社は利口だ。
日本だと、論理を軽視した司法であり、弁護次第で司法など何とでもなる、即ち金を持っているほうが強いから、
犯罪被害者は精神病院で殺処分され、犯罪者は犯罪収益で賄賂を贈って不起訴処分になる。
つまり、日本は、犯罪者優遇社会であり、犯罪は先制攻撃勝ちだ。
だから、可哀想な生贄:犯罪の被害者にならないために、日本では、他人の足を引っ張る妨害合戦こそが、成功の秘訣だ。
日本では、社会とは協力ゲームではなく、非協力妨害ゲームだ。
だから、統一規格は、日本では嫌われる。
統一規格でないことが、競争力の源泉だからだ。
日本の労働生産性が先進国で最低水準であるのも、それゆえだ。
なぜなら、日本では、従業員が、代替可能な労働者に落ちれば、即、非正規のち引きこもりとして殺処分の対象になる。
だから、従業員にとって労働基準を会社に遵守してもらう唯一つの手法とは、
彼が居なければ、会社が回らないように妨害する人質商法(Private Know-how = Ransom = Salary)だ。
だから、「休みが取れない」「だらだらと残業する」「休まず、遅れず、働かず」という勤務態度は、
時給制労働者の基本的マナーだ。
合理化(カイゼン)への協力は、追い出し部屋(victim of power harassment)への最短経路だ。
(「追い出し部屋」で40代女性が見た異様な光景
https://toyokeizai.net/articles/-/272177)
従業員が経営者に協力して、良いことなど何一つない。
日本式の会社では、考えるのも儲けるのも、すべて経営者1人のみだから、責任を取るのも、すべて経営者1人のみであるべきだ。
Canonなどが、非正規品No Brand Inkを追放すべく、インクに正規品チェック回路をprinterに付加したりしたのも、
何とか知的財産権を拡大解釈して、非正規品を犯罪化できないか工夫を凝らしているのも、
彼らが覚醒剤の売人同様な携帯電話会社同様の依存症商法を行っているからだ。
つまり、最初の敷居が高いと、消費者は買ってくれない。
だから、プリンターや携帯電話本体は、不当廉売(dumping trade、便衣兵)でよい。
で、初期投資がsunk
costになってから、じわじわと、真綿で首を絞めるように茹で蛙にしてゆく。
で、サラミスライス戦術を妨害するThird PartyのSIM
LOCK解除が目の上のたんこぶになるわけだ。
Canon(https://canon.jp/)のprinterは、Ink Bottleの容量が小さくなって、Ink交換が頻繁になるように、改良された。
かつて、日本の家電製品は、電源アダプターが、全社異なる規格だった。
酷いときには、同じ会社の製品ですら、異なる規格だった。
で、その兌換性の低さを昭和当時の経営陣が自慢していた。
「電源アダプターが異なると、消費者は、製品ごとに新たに電源アダプターを購入せねばならない。
ですから、儲かるわけです。頭のいい経営とは、こういうことなのです。
馬鹿な経営者は、消費者の都合で電源アダプターの兌換性を高め統一規格にするから倒産するのです」。
日本式経営の要諦とは、こういう企業の性悪説だ。
日本版の「改良」とは、如何に消費者にとって不便にして嫌がらせをして浪費させるか、という経営の性悪説だ。
日本が「国際ルール」を理解したのは、ペリー来航や薩英戦争などだ。
ペリー来航でのアメリカ側の要求とは、アメリカの捕鯨船に日本が無償で水や食糧を補給することなどだった。
この頃の捕鯨は、日本では、沿岸捕鯨で貴重な海の恵として鯨を余す所無く無駄なく利用したが、
アメリカの捕鯨は、遠洋捕鯨で、ランプオイル用に鯨脳油を採った残りは、すべて海洋投棄していた。
薩英戦争でも、イギリスは、軍事力を誇示して、日本の国内法を無視した。
つまり、「国際ルール」とは、「正義」=「強盗」「暴力」という意味だ。
「正義を守るために戦争した」なんて大嘘だ。
ただの強盗行為だった。
しかし、国際ルールでは、「強盗や暴力=正義」だから、強盗や暴力を「正義」とも言い換えられる。
日本が行ってきた戦争も、すべて強盗や暴力だ。
正義など最初から毛頭ない。
「正義」だと嘘八百並べていただけ。
強いて言うのなら、「強盗が正義」なのだ。
「正義」というものは、求めるものではない。
「正義(Justice)」とは勝った者が、自らを正当化する為に言う言葉だ。
「正義」とは「理屈と膏薬」と同じで、後付けで、どこにでも貼れる。
とにかく一発、殴ってから、適当に言い逃れを並べるのが(国際ルールでの)「正義」だ。
多くの企業は、表向きは差別と指摘されるのを恐れて、
真の求人条件を隠蔽した求人票を出しています。
真の求人条件に合致しない求職者は、不合格の理由があいまいで済む面接で不合格にする仕組みです。
(現実に差別的な求人条件ですが…。)
(学歴フィルターがバレる。帝京大学だと満席なのに早稲田だと予約可 ...
http://netgeek.biz/archives/113674)
求職活動にも経費はかかります。
で、面接を受けても受けても合格しなければ、求職者から見た求職活動の投資効率は、
どんどんマイナス無限大に近付くように見えます。
で、精神的にも滅入って、求職活動を断念したり休止したりしている労働者を、
「精神病(うつ病)」とか「子供部屋おじさん」とか「中高年引きこもり」と呼びます。
これらの失業者は、政府統計の歪曲された定義により、「失業者」とは数えられません。
ちなみに30歳を超えると、100社面接して一社合格すれば、まあ、良いほうです。
また、大半の面接は、労働者をキープしておくために、「お祈りメール」(不合格通知)すら、くれず、
合否連絡の引き延ばしと先送りを行なうので、人生の時間と生活費ばかりが企業側に浪費されて、
その後に、無駄な期待の挫折と、結果としての厳然たる現実への失望を何百回も繰り返します。
実は、雇用実績は待遇の悪い企業ほど多いのです。
なぜなら、多くの企業で、雇用中の従業員は、ほぼ一定です。
ですから、「新規募集数≒離職数」という関係が成り立ちます。
詐欺的な宣伝で大量雇用する企業は、すぐに従業員が失望して大量離職する企業が多いです。
業績が急拡大中の企業も、大量に募集しますが、
大量辞職を補充する企業のほうが、労働市場では目立つ存在です。
日本の大半の求人票の報酬水準は、地域外から転居してまで求職するほどの水準では支給されていません。
最低賃金の水準の多くは、食費と水光熱費を賄える程度の水準であり、
日本に於ける最大支出事由である住居費すら賄えない水準であることが多いです。
(日本社会は、
(財政ファイナンスの尻拭いとして土地のインフレによる見かけ上の増価を悪と見做して懲罰的な課税をする)土地譲渡益税と
土地所有権の絶対不可侵を担保する低い土地所有税(さまざまな軽減税率の特典がある複雑怪奇な固定資産税と地価税)によって
作り出される「土地神話」のため、住居費が極めて高い水準で高止まりして、
労働力の転居力が低く、物流に過剰な負担がかかる社会です。)
もちろん、これらの報酬水準では、婚姻も養育も無理であり、生涯、奴隷状態しか期待できません。
エネルギーでも、「駄目なものは駄目」と禁止すれば、需要と供給の法則により、
エネルギーが値上がりして、浪費は止まる。
国民を保護したければ、国民の生活用の小規模電力のみ特例的に税で助成すればよい。
ところが、金儲けのためにエネルギーを浪費したい人々が、
「エネルギーが安くないと、金儲けできない」とゴネて、
国民の負担で、異様に安いエネルギーを作る政策を要求している。
税金の負担すなわち国民の負担なら、青天井に金を引き出せるから、
その国民の無尽蔵に見える金から、盗むことを「商売」と勘違いしている。
彼ら日本企業がやっていることは、ただの税を介した強盗であり、仕事でも商売でもない。
今の経済界が要求している政策は、端的に言えば、こういうことだ。
「エネルギー、人件費、その他もろもろの原価、経費を、税金の負担でタダにしてくれ。
そうすれば、企業会計では、支出はゼロだから、売り上げがすべて儲けになって、国際競争に勝てる」。
確かに原価がゼロならば、国際競争には勝てるかもしれない。
しかし、原価をゼロにするための国民の負担は無茶苦茶になる。
さらに、今の日本の経営者は、国民の負担で、(売り上げ)=(営業利益)という異様な経営環境が作られていることを無視して、
それを自らの実力と勘違いして、折角の利益を私利私欲のために浪費している。
そんな異様な競争力の上げ底を取り除くべきだ。
自分勝手な殿様に、権利に見合った責任を取らせるべきだ。
殿様商売が元の木阿弥になるのは仕方がない。
賄賂と腐敗で、もはや、政府が、タダの強盗になりつつある。
殿様商売の視点から、眺めるから、「公共事業、強盗はよい」となる。
そりゃ、強盗する側から眺めれば、当然、強盗はよいことだ。
しかし、強盗される国民から見れば、とんでもないことだ。
投資とは、本来、民間が担うべきものだ。
財政赤字の現在、政府が担う投資は、もっと縮小すべきだ。
労働者が足りないのなら、まともな給与を支払うべきです。
新卒一括採用優遇など労働者を選り好みすべきではない。
労働者も人間です。
労働者の人生の見通しが立たないような待遇で雇用しようと思うな。
奴隷(安価な非正規(Working-poor))がいなければ成り立たないようなビジネスモデルを止めるべきです。
経営者は、「非正規だから、賃金が安くて当然」といいますが、
労働者から見れば、身分が不安定な非正規に自らの人生を預けたくはありません。
だから、「非正規だからこそ、賃金が高くて当然」なのです。
昔は、アルバイトとか期間工とは、正社員がどうしても不足する一時的な仕事のために、
正社員をはるかに超える良待遇で一時的に行なう雇用でした。
「本来は赤字だから雇用したくない。
しかし、店の信用のために赤字でも一時的に仕事をしたい」
そういった目的でアルバイトや期間工は作られました。
アルバイトや期間工は、その成立当初から雇用の調整弁であり、
それを見越しての、極めて職務内容は簡単にも拘らず、報酬は高待遇でした。
で、そういった理不尽な良待遇が永続すると期待して寄生する乞食が
都市公園にブルーシートテントを作り始めました。
乞食たちは、不満があると犯罪を繰り返しました。
乞食たちの待遇に引っ張られるようにして、労働者の待遇もどんどん切り下がりました。
安価な非正規(Working-poor)を摘み食いして、
労働者を人間として扱わない(従業員から泥棒をする経営者)習慣が、日系財閥の勝者になり、
もはや、会社のモラル(Moral、遵法意識)と労働倫理は崩壊し、会社は、従業員が経営者から泥棒をする場に変容しました。
最高賃金や平均賃金は需要と供給の論理で決定されるべきかもしれません。
しかし、最低賃金は違います。
最低賃金は人権なのです。
需要や供給と最低賃金は関係ありません。
雇用形態別の最低賃金を定めるべきです。
必ず、非正規の最低賃金が、正社員の最低賃金を上回るように。
別に最低賃金とは、それを上回る賃金を禁止するものではありません。
正社員に対して、非正規の最低賃金を上回る平均賃金を支給することを禁止するものではありません。
本来、賃金とは、労働者が、健康で文化的な最低限度の生活(恋愛や婚姻や養育といった人生計画を含む)ができる程度に
支払われるべきものです。
それよりも、安い賃金は、人権侵害です。
そういった安過ぎる待遇での雇用とは、経営者は人権の債務者、労働者は人権の債権者です。
賃金を引き上げれば、需要と供給の法則により、失業率は上がります。
ですから、失業率が高いときは、賃金の引き上げは難しいです。
失業率が低い時こそ、労働者によい待遇を用意できない悪い経営者を退場させる絶好の機会です。
外国人労働者の移入によって、国内の労働市場を労働者側に不利になるように政策誘導して
劣悪な労働条件を維持し、邪悪な経営者を保護するのではなく、
外国人労働者を追放して、労働条件を改善すべきです。
外国ならではの経緯で日本の物価や労賃を享受しようと日本にやってくる外国人労働者と、
国内の過去の悪政の結果、疲弊した既存の国民を横並びに単純比較することはできません。
どのようにして、左翼、団塊の世代がやってきた労働闘争が潰されたのか、歴史を復習してみましょう。
M&Aです。
日本では、労働組合は企業別であり職能別ではありません。
また、当然、失業者は、労働闘争の埒外ですから、労働闘争の結論は、
問題のしわ寄せが、すべて失業者ばかりにかかってきます。(企業と従業員がWIN−WINで、失業者がLOSER)
企業と(正社員)従業員と失業者の三方の内、二方のみが丸儲けで、一方がいじめリンチという野党裁き。
労働闘争とは、ある種、数の暴力ですから、団結が難しい人々に責任が押し付けられます。
企業別労働組合では、所属が、子会社なら、会社を潰しても、会社も労働組合も、親会社とは別枠です。
非正規の多くは、あまりにも低い報酬水準で雇用されるがために組合加入費用を支払えなかったり、
雇用期間が短かったりするために、労働組合への加入率も低く、
専門職や資格保有者と同様に勤務形態が、正社員と異なる上に少数派であるがために、
客観的に正当な報酬水準を決定しづらく、労働組合としてどれほどの報酬を正当として要求すべきなのかも決定しにくいために
労働組合を組織する意義も判然としません。
で、親会社の経営陣は甘言で誘います。
「子会社や下請けを見殺しにすれば、君たちだけは助かるよ」。
さらに、バブル崩壊後就職(就職氷河期)の世代は、最初から、労働闘争対策で所属が派遣ばかり。
だから、闘争した途端に、派遣の社長ごと切り捨てられます。
で、社長連中から「俺の会社を潰した敵」扱いになります。
当然、闘争後は、完全に雇用を干され、老人ではないので、生活保護も出ず、餓死/凍死します。
ホームレスが昼間寝るのは、凍死を防ぐためです。
日本には、レイオフという制度はありません。
経営者が「雇い止め」とか「左遷」とか、労働者に非人道的な弾圧を行なっても、
会社は、その結果、離職した労働者に対して、その後、関わりを持つ義務もありません。
非人道的な過去の扱いに対して恨みを持つ従業員から、優先的に雇用しなければならないとすれば、
経営者の肩身は、極めて狭くなるはずです。
いや、だからこそ、経営者は、自らの過去の悪行を知らない新卒を雇用したがるのです。
経営者にとって不都合な過去の被害者を追放してしまえば、残るのは資産のみ。
労働者などへの人権侵害の結果として蓄えられた犯罪収益を見せびらかして、
何も知らない新卒を甘言で誘い込めば、過去の悪行で犯罪収益を貯めた経営者は、
成功した資産家として尊敬されます。
(犯罪収益を蓄えた)大手優良企業と見込んで新規入社した新卒から見れば、
なぜ、部外者である怠惰な就職氷河期が働きもせずに会社の私有資産に集ろうと要求するのか、
理解が困難に見えるはずです。
北津島病院の初代創業者である野島精二も、長期入院患者たちから「死ね、(倫理的・道徳的な)悪魔」などと罵られていましたが、
今では、そういった長期入院患者の大半が50歳に至る前くらいに2013年前後に相次いで10人以上は急死しました。
一部の知り合いは裏切られたショックで、一夜で、すべての髪が白髪になったのちに急死した者もいたり、
震える手で「アキネトンをくれ」と叫びながら急死した者もいたりしたそうです。
経営者らは人権の債権者から過去の人権に関する債務返済を追及されそうになると、
犯罪収益で部外者を買収して、共謀者を増やし、
「数の力」で押し切ろうとしたり、「金銭力」を背景として押し切ろうとしたりして、人権の債務を踏み倒そうとします。
そういった犯罪収益で私腹を肥やした犯罪者たちの自尊心の拠り所は、唯一つ、金だけですから、
「金の出し手が選ぶ側。逆はありません」とか「結局、金を持っているヤツが一番偉い」とかいった口振りになってきます。
だから、外国人労働者や新卒など、確信犯か無知なだけか、犯罪経営者との利害関係者に祀り上げられた部外者は、
安価な非正規(Working-poor)など人権の債権者から、「差別」という根拠のある報復を受けることがあります。
北津島病院でも、院長の交代に伴い、数多くの過去の人権弾圧を知る患者が急死し、
数多くの過去の人権弾圧の経緯を知る幹部職員が転属によって雲隠れしたり、解雇されたり、
過去の経緯を全く知らない“ベテラン“を外部から金銭力で一本釣りして幹部を挿げ替える人事が横行しています。
「資産家、有資格者、社会的身分があるから免責される、刑が減免される、
腕利きの弁護士を高給で雇えば、判決は意のまま(弁護技術で判決が左右される)」
…このような状況では、犯罪はやったもの勝ちになります。
なぜなら、犯罪加害者には犯罪収益がありますから、その犯罪収益を保身に充てれば済むわけです。
一方で、犯罪被害者は、被害によって、金銭的に困窮していますから、金銭が勝利の条件なら必敗です。
で、犯罪者は、犯罪収益を元手として、さらに巧妙な犯罪を、弱者への搾取へと振り向けるわけです。
江戸時代、一揆の首謀者は、一揆の正当性如何に拘らず死罪だった。
翻って現代、社会問題を訴えると、訴えた本人は、反撃で殺されたり弾圧されたり。
で、救済策が被害世代や被害者を対象に行なわれるのではなく、犯罪収益は救済に充てられることはなく、
再発防止措置が、次世代以降を対象に行なわれ、
保護される次世代を買収して多数派に仕立て、一方で、被害者たちは救済されずに孤立させられる。
なぜか?
再発防止には費用がかからない。その上、簡単に多数派が恩恵を受けて議会対策になる。
再発防止措置で、被害者の人数増加に歯止めがかかることで、被害者は少数派になってゆく。
加害者の潜在的な共犯者も、「既存の犠牲者ではなく、加害者の一部が次の生贄に仕立てられない」再発防止に賛成して見せることで、
利益を受け取りつつ、被害者側に寝返ったかのように見せかけられる。
一方で被害の救済は、必ず、膨大な費用がかかる。
場合によっては、故意もしくは意図的怠慢で犯罪を放置していた責任者の刑罰という返り血も必要になる。
被害を訴えるところにまで至る被害者は少数派だから、最悪、殺してしまえば「死人に口なし」だ。
American
Comicsで不当な人権侵害に耐えかねた1人の被害者が、特殊能力を得て超人として活躍する漫画があったりする。
しかし、本来、救済され讃えられるべきは、その超人1人ではなく、その影に居る無数の被害者こそ救済されねばならないのだ。
運良く抗弁できた超人1人を買収して、矛盾を含んだ社会をそのまま温存しようと考えるのは間違っている。
だから、往々にして、人権の債権者は救われることは無く、「一部の例外」として問題を矮小化して幕引きされ、
潜在的加害者も多い人権の債務者に対してばかり、更なる保護を上乗せする政策が行なわれるのだ。
本当は、科学者や市民団体など少数派の批判勢力が、「原発事故の可能性がある」と指摘していた上に、
電力会社は「我々巨大会社の言うことより、そんな門外漢の素人を信用するのですか」と批判を門前払いしてきたにも拘らず、
いざ、原発事故が起きると「想定外だったから、今回だけは免責して欲しい」などと言い逃れるのは、そういった事情だからだ。
つまり、当初から、リスク債務を踏み倒すことを予定して政策が立案計画されているのだ。
俺の屍を越えてゆけポータルサイト | プレイステーション®
オフィシャルサイト
https://www.jp.playstation.com/scej/title/oreshika/
労働組合潰しで、印象的だった事件は、1987年の国鉄からJRへの再編での、特定労働組合員の露骨な雇い止めでした。
別に国鉄は経営破たんの手続きを踏んだわけでもなく、経営陣の責任が問われたわけでもありませんでした。
ですから、国鉄の資産は、そのまま、JRに付け替えられて、会社資産としては名義以外、何も変化しませんでした。
しかし、「会社としては存続しない」という形式を取りました。
そのとき、「全従業員は一旦、国鉄から解雇され、新会社のJRが一部従業員のみを雇用する」という形式が取られました。
このとき、極めて恣意的な実質的な雇い止めが、巨大公的企業によって為されました。
実は公務員は身分が安定しているため、政治的立場によって左遷されることが少なく、
与党にとって野党支持者の温床として、金持ちらに嫌われていました。
そこで、野党支持者を兵糧攻めにする手法として、憲法19条に反して
政治的な思惑で公営企業の民営化が行なわれた面が大きかったのです。
今現在でも、公務員の採用試験は、政治色の濃い作文を課し、
合否基準の不明朗な面接の形式を借りることで、
縁故採用や思想・信条に基づく差別的な雇用をしている、という噂は絶えません。
実は個々の非正規労働者も、転職面接のときに、人事担当者に、
「他社が雇用しないような人材は、我が社でも採用しない」と事実上、横並びで採否が決まり、
さらに、「報酬は、前職での水準を勘案して決定します」と、採用面接での人物評価と無関係に報酬も横並びにされます。
そのようにして、非正規労働者も、前の例に漏れず、横並びに干されるのです。
企業の採用人事は、まったく個性が無く、人物評価も横並びの金太郎飴基準で採用活動を行なっており、
労働者の個性を評価したり、企業側の需要と労働者の能力の相性を判断したりする姿勢は、まったくありません。
非正規労働者は正社員に比べて立場が弱いために、企業側の要求も正社員に対するものよりも熾烈です。
非正規労働者は仕事に慣れてくると、労働者としての保護が実質的に無く、
労働者としての不利しかない非正規従業員の身分を嫌って、
しばしば、社員が一名だけの請負事業者の形態に業態を変更します。
非正規労働者の置かれている状況は、到底、「労働者」などと呼べるようなものではなく
正社員よりも、はるかに劣悪です。
ですが、ただ、非正規労働者は、生活に追われて、抗議の声を上げる余裕が無いがために、
企業側のあまりに横暴な態度が、表面化しにくいだけです。
就職氷河期の当初は、非正規の最大の敵は労働組合だった。
なぜか?
実は労働組合の大半は、正確には「正社員労働組合」だ。
就職氷河期、ワークシェアリングは目の敵にされた。
なぜか?
皆で平等に分かち合えば、誰一人として生活できなくなるからだ。
だから、誰かが死ぬしかない。
実は労働者になり得る人とは、失業者、非正規、正社員などがある。
全員が連帯すれば、皆、横並びに貧困に喘ぐことになる。
そこで、「正社員労働組合」は、非正規と失業者を「自己責任だ」と労働者の敵に回って、
下級国民を叩いて、救済対象、連帯対象を一部の金満上級国民(正社員)だけに絞って、自分達だけ逃げたのだ。
その時代の象徴が、国鉄民営化だ。
国鉄に所属する労働組合は複数あった。
国鉄は倒産もしていないのに、JRに移行するときに、
JR経営幹部に対して、協力的な労働組合の組合員だけをJRに再雇用し、
JR経営幹部に対して、敵対的な労働組合の組合員を全員、雇い止めにしたのだ。
労働組合同士が、そうやって潰しあって、残った正社員の座席を奪い合ったのだ。
指名解雇された公務員は、解雇無効を裁判に訴えたが敗訴したはずだ。(最高裁だったと思う)
このときに、路頭に迷った公務員は、12万人くらいは居たと思う。
その内の、ある一人は数年前に北津島病院の関連施設で他界した。
生活保護だった。
朝は、茶漬け一杯、夕は御飯一膳と缶詰一個とか。暖房も冷房もない。
「俺は腐っても、元公務員、恥ずかしいことなどできるか」が口癖だった。
死ぬ前夜、敬老の日頃、
「俺の誕生日だが、誰も祝う人が居ないから、俺自身で寿司を買ってきた。せいぜい、祝ってくれ」。
誕生日の翌日の朝、冷たくなっていた。
兄が遺体を引取りに来た。
「現金以外は、病院のほうで処分しておいてください」。
「親族に迷惑をかけないように葬式代くらいは貯めておけ」も口癖だった。
公務員の雇用は、すべて「面接」の名を借りた、コネ採用だ。
政治家の賄賂に非協力的な公務員の子供は干される。
だから、公務員は政治腐敗に逆らえない。
昔から有名。
大企業従業員(上級国民)の雇用は、すべて「面接」の名を借りた、コネ採用だ。
経営の不正に批判的な従業員の子供は干される。
だから、従業員は経営腐敗に逆らえない。
氷河期の人事(採用担当)の台詞は、
「他所で雇わない人は、ウチでも雇わない」。
「前職場での報酬を目安に、我が社での報酬を検討します」。
要は、最初が大企業就職なら、その後の転職は、だんだんと報酬減になる。
最初が零細企業なら、その後の転職は、すべて不採用だ。
昭和の時代から、不思議に思っていた。
父は、経団連企業に奉仕するだけで、家庭に対しては、ただのATM。
それでも、「俺は稼いで来ているから偉い」。
母は、育児を学校だの施設に丸投げ。
「教育費を払ったんだし、食費も払ったから、養育義務は果たした」。
父も母も、誠心誠意尽くすのは、経団連企業相手だけ。
父も母も、家庭に関しては、金で買うだけ。
何のために生きていたのか?
親の説教:「従兄弟はみんな」=思考停止、横並び金太郎飴の発想。
それぞれ、従兄弟はみんな違う環境だ。
不運なだけなら、特に親族同士は、助けあうのが中国人の華僑。
それを「投資」と言う。
確かに中国はアヘン戦争でも日清戦争でも屈辱的な和睦を強いられた。
それは、中国人が日本人よりも劣っていることの証明になるのか?
就職氷河期は低労働環境に耐えさせられてきた。
安い輸入品に雇用を奪われながら。
で、酷い労働者酷使で、終に、労働者が不足してきて、
「さあ、やっと雇用が戻る、正当な賃金になる」と思ったら、
「今度は移民を入れる」と言ってきた。
では、今まで雑貨など輸入品に関税をかけずに、低労働環境に耐えてきた就職氷河期の忍耐は何だったのか?
今までの労働者酷使の結果として、労働需給が変化したのに、移民で補うのなら、もう、国家に義理など無い。
その時代の象徴が、国鉄民営化だ。
国鉄に所属する労働組合は複数あった。
で、国鉄は倒産もしていないのに、JRに移行するときに、
JR経営幹部に対して、協力的な労働組合の組合員だけをJRに再雇用し、
JR経営幹部に対して、敵対的な労働組合の組合員を全員、雇い止めにしたのだ。
労働組合同士が、そうやって潰しあって、残った正社員の座席を奪い合ったのだ。
指名解雇された公務員は、解雇無効を裁判に訴えたが敗訴したはずだ。(最高裁だったと思う)
このときに、路頭に迷った公務員は、およそ12万人くらいは居たと思う。
バブル世代を中心として、正社員と正社員労働組合や数の暴力で上級国民の既得権をガチガチに固めて、
上級国民の雇用を守ったから、非正規など下級国民は人間不信と社会不信の塊で弱肉強食信奉者。
裏切ることや騙すことが日常の世界を強いられ続けてきた。
でも、企業も世代交代が必要になった。
で、今まで、散々、騙し続けて殺し続けてきた人たちを仲間に入れたいか、だ。
まあ、ヒトラーに「アウシュビッツの中のユダヤ人から側近に雇用したいか」と問うに等しい。
就職氷河期辺りからは、経営者は、能力よりも裏切らないことを優先するようになった。
だから、経営者は、自分よりも能力が高い部下を予測不能な統合失調症障害者として嫌うようになった。
有能な人ほど社会や会社から排除されるのだから、社会や会社が劣化していっているのは当然過ぎるほど当然だ。
中でも、人間不信(知的障害者)と社会不信(精神障害者)が重畳した障害者が敬遠されやすくなった。
論理ではなく、数の暴力で、悪を正当化してきた老害たち。
力に頼っただけの秩序など、力が失われれば、どうなるかは、よく判っているはずだ。
この世代とかって、あおり運転とか荒い。
つまり、一番偉いのは、仕事がある、金を持っている、だから、順法意識がない。
図書館の館内で携帯電話で大声で話して、図書館員に「静かにしてください」と注意されると、
「我々が税金、払ってるのよ、うるさい、黙れ、奴隷の分際で」と逆ギレするのが、この世代。
経団連や自民党ら、上級国民の発想が、これ。
まあ、バブル期世代が、既得権を固守しようとした犠牲者が氷河期世代だから、
バブル期世代としては、氷河期世代が協力してくれる気はしない、と思う。
氷河期初期の正社員労働組合による非正規叩きは特に酷かった。
今でも、非正規が加盟できる労働組合であるユニオン(http://www.jca.apc.org/j-union/)の名を出せば、
たちまち非国民扱いで、 経営者にも正社員労働組合にも支持母体が正社員労働組合である野党にも非正規は嫌われている。
だから、野党は過去の政策との整合性を正当化するためにも
「非正規にも相応の待遇がなされる労働基準法の見直しをせよ」とは訴えずに、
「短期雇用(非正規)を禁止して、長期雇用(正社員)だけの国を作れ。
日本を短期雇用という雇用形態の存在しない国家にせよ」と訴えている。
政治家がパフォーマンスを演じるたびに、税金が浪費されて、増税になって跳ね返ってくる。
でも、若者は、氷河期のときもそうだったように、それを理解できるほど賢くない。
子供は、きっと大人が配慮してくれる、と期待してしまう。
でも、それは大きな間違いで、「先送り」とは、大人の尻拭いを子供にさせるときの表現だ。
でも、日本人全体が馬鹿だから、無駄な税金浪費が朝三暮四だということを理解できない。
可哀想だが、日本人は馬鹿だから、自殺するのを止められない。
バブル崩壊後は、とにかく、もう、会社は解雇する雇用しない口実探しばかり。
何とか会社にしがみつこうと、労働者も必死でした。
バブル崩壊の少し前に就職した人々は、もう既に会社の内の人でしたから、
どんどんと仕事を教わって、出世、昇進していきました。
バブル崩壊に伴う物価下落も相まって、給与はバブルの頃に近い水準、物価はバブル崩壊後水準でした。
バブル崩壊後、会社の外に放り出された人は、もう、再起できませんでした。
同期は、次々と過労死したり事故死していっています。
この時代を生き延びた非正規に、「親元を離れる」とか「自立」という概念は存在しません。
親の脛をかじれない非正規は犯罪者以外は死に絶えました。
会社の外に出されれば、仕事を教えてはもらえません。
だから、出世とも昇進とも無縁の最低賃金の非正規に留め置かれます。
能力が無ければ、若い者との差は体力だけだから、30歳程度で、もう成長することは無く、追い越されてゆくばかり。
選択肢は雇い止めののち死(過労死/事故死/自殺/死刑)あるのみです。
バブル崩壊前後からの通称「就職氷河期」と呼ばれた時代は、正社員ですら、
生活費の採算としては赤字で、働かないほうが生活費の節約にはなるが、
履歴書に空白期間を作ったり、浦島太郎のような社会性喪失状態になったりすると、
将来の雇用で弱者になるから、といった消極的な労働が大半でした。
ですから、親の脛が細い若者から、
「社会保障費など、到底、負担できない。
将来の年金など、どうでもよいから、今、国民基礎年金をもらいたい」
といった声が溢れたのは当然でした。
しかし、困窮していた世代は、全人口の50%を超えることは無く、
彼らの人権は踏みにじられて、年金資金は、
若者の賃金を、はるかに上回る(「老人を敬え」と怒鳴るような)老齢者への年金支給と、
倒産寸前の旧態依然とした日本企業株の最期の買い取り手に充当させられました。
(株価維持政策Price
Keeping Operation)
そのようにして過酷な労働で障害者になっても、障害者年金すら支給されず、
当初から厳しい高学歴・高資格競争の後、雇用の調整弁とされるべく実質生活費赤字の派遣子会社採用の後、
先輩との時代格差を見せ付けられ、転職による評価切り下げを経て、
過労死を運良く免れて障害を負った後は、監視が厳しく無資産の生活保護に転落し、
社会の責任や矛盾をすべて押し付けられた廃棄物として、他の世代や日系財閥が人権の債務者としての負債の返済を逃れるために、
人権の債権者世代であるがために、虐殺されることが願われる、呪われた絶望の人生を生きる世代が生まれました。
「現実の社会の汚さ、大人の卑怯さを実感して、社会からの退場を願うこと」を、
「ひきこもり(隠遁)」「現実逃避(世捨て人)」「大人買い(ゴミ屋敷)」「自殺/うつ病」「潔癖症」などと呼ぶのでしょう。
「年金が欲しかった」腐敗進んだ夫の死体を放置…56歳妻と長男、長女を逮捕 愛知・岡崎市
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokaitv/nation/tokaitv-20210620-0735-177584
なぜ、現役労働者世代である子供が、親の老齢年金に集らねば生活できなくなるのでしょうか?
それは、老人世代に比べて、現役労働者世代の納税負担が大き過ぎるからです。
では、なぜ、現役労働者世代の納税負担が大き過ぎるのでしょうか?
それは、悪政(苛政)が原因です。
つまり、納税された税が国民のために利用されず、
スポーツイベント(五輪)開催など日系財閥(戦犯企業)や農家(世襲地主階級)の私的財産の形成支援や、
在日害国人(と、その腰巾着である上級国民=売国奴)の私的財産の形成支援(租界状態)に
浪費されてしまったからです。
子供の生活力が低いのは、
「教育が子供のためではなく、教育が日本帝国主義にとって都合のよい奴隷を作るために行われている」
という結果、「教育が子供の人生の浪費にしかなっていない」という現状の教育行政にも原因があります。
さらに悪いことに自民党と公明党が国民主権を無視して、
移民労働力を呼び込んでいるがために
国民と害国人を行政窓口で窓口差別しなければ、
いかなる労働者・国民支援政策も、拝金狂の悪徳経営者らによって
国民ではなく在日害国人へと抜け出ていってしまい、
在日害国人に雇用を奪われた国民が、
警察の浮浪者狩りによって、精神病院で『合法的に』基本的人権を剥奪されて虐殺されたり、
独裁政権である日本政府(日帝)が憲法を無視して定める弱者に厳しく強者に諂う逆進的な立法規制に基いた
警察の弱い者いじめ的な取り締りや、弱者の権利を叩き潰す弁護士や裁判所によって
犯罪へと駆り立てられたりしている。
日本国内で製造された工業製品に"Made in Japan"と記したら景品表示法違反です。
なぜなら、日本国内の製造現場で働いているのはベトナム人(日帝配下の非人道的帝國主義の走狗ら)ですから、
正しくは、日本国内で製造された工業製品には"Made in Vietnam"と記すべきです。
日本人の大半は、障害者就労支援B型作業所で時給50円で“働いているつもり”なだけですから、
日本国内の100円ショップで販売されている雑貨にこそ、
"Made
in China & Packed using Un-Fair Trade in Japan "
と記すべきです。
結局、就職氷河期で起きたことは共食いだった。
強盗して勝ったほうが金持ち、強盗されたほうは極貧か死亡。
そりゃ、実質的に働いてもいないのに、労働以上の給与を捻出する方法は一つだけだ。
だから、とにかく、「競争が足りないから生産力が低いのだ」との論理で過剰な格差を煽った。
事実上、成果に大差が無くとも、報酬には猛烈な格差を付けることが大流行している。
既存の既得権を守るために税金をばら撒き、その財源として一部の国民には生活できないほどの過酷な税が科せられている。
上級国民(悪代官や悪徳商人Bourgeois)が、下級国民を搾取して、私腹を肥やせば、
平均すれば下級国民(奴隷)の取り分(社会保障や労働分配率)は下がりますから、
少ない報酬で、下級国民(奴隷)を発奮させるためには、貢献以上の過剰な報酬格差で、競争を煽り立てることになります。
或いは、就職氷河期(非正規、引きこもり)など一部の不運な下級国民(奴隷)を生贄として密かに強盗殺人(リンチ、Sabato)し、
(殺人なら、どうせ死人に口無しですから、犯罪の償いは要りません)、その犯罪収益を自らの手柄のように装って、ばら撒くことです。
学生運動など、社会に目を向け、社会と闘ったから、政治や社会から一目置かれる世代になった。
「社会の仕組み、枠組みそのものを改革しようとした
(沈みかけた船を修理して沈まないようにしようとした)」のが全共闘世代だった。
「独裁者が作った社会の仕組み、枠組みの枠内で、自分だけが卑怯な手で逃げ切ろうとしている
(沈みかけた船で救命ボートの奪い合い)」のが就職氷河期世代だ。
学生運動などの脅威を目の当たりにし、日本版天安門(成田闘争、安保闘争、東大闘争、ストライキなど)を
防御用のジュラルミン製の盾を投げつける攻撃に使うなどと云った機動隊の武力で鎮圧し、
何とか現体制を護持した政治や経営者(悪代官や悪徳商人Bourgeois)の第一目標は、
まず、学生運動など労働者や国民の権利を護ろうとする団体、労働組合を潰すことだった。
日本版天安門事件を以て、「日本国が、国民の代理人ではなく、独裁者の玩具に過ぎない」ということが証明された。
日本版天安門事件を境にして、日本を自分自身の物として護ろうという気運は消滅に向かい、
日本を踏み台として私利私欲を貪ろうとする気運が強まり続けている。
日本版天安門事件を以て、国益を共有地の悲劇状態にするのが現実的な選択とする国民的な合意が形成された。
アメリカでは一般的な職能別労働組合の排除、
日本独特のガラパゴスな風習である企業別労働組合の推進による労働組合の弱体化、
派遣労働(労働組合を突き崩す経営側の便衣兵労働者)のなし崩しの拡大、
短期雇用の原則禁止といった非正規雇用の非合法化(便衣兵労働者の権利剥奪)による
社会的地位の低い労働者の雇用者に対する権利剥奪などで労働組合無しと、
企業による横並びの労働基準法無視によって、労働基準法を遵守する雇用が事実上消滅、
そして経営側は事実上空文化させた労働基準法を実情に合わせて改廃するサラミスライス戦術といった労働基準法の実質的空洞化で、
人権を無視した労働力を調達することに成功したおかげで、
非正規雇用(Working-Poor)が大量に増えて、(職業)教育が為されていない低スキルの労働者が量産され、
「適当な労働者が足りない」「高い報酬を出すに相応しくない」として、
経営者や政治家は、国民を殺して移民で置き換えるように主張するようになった。
日本赤軍や核マルとか中核派などテロリスト自身は、
出る杭、ブルジョア(独裁者)への矢面、生贄、賞金首(bounty)、御尋ね者(inquirer)、世に憚る憎まれっ子となり、報われなかった。
でも、彼らテロリストの御蔭で、第二の日本赤軍などテロリストを増やさないように、
経営者や政治家は、日本赤軍、テロリスト世代に一定の人権配慮をした。
日本の民主主義や国民の人権を護ったのは、政治家や経営者ではない。
日本の民主主義や国民の人権を護ったのは、テロリストだった。
政治家や経営者とは、単なる守銭奴、つまり(倫理的・道徳的な)悪魔の化身に過ぎない。
国民を守護した者、労働者を守護した者とは、テロリストだった。
政治家や経営者らは、テロリスト世代との全面対決、闘うことを怖れた結果、
政治家や経営者らとテロリスト世代はWIN−WINの関係になった。
でも、政治家や経営者らは、自らの取り分を減らしたわけではない。
結局、その分の、つけは、その後の世代に押し付けられた。
つまり、その結果が、就職氷河期がLOSERという結果になった。
政治家や経営者らとテロリスト世代と就職氷河期の三方の内、
二方のみが丸儲けで、一方がいじめリンチという自民党&公明党裁き。
現状とは、政治家や経営者らとテロリスト世代、就職氷河期の三利害関係者(stake holder)で、
零和(REIWA=ZERO SUM)GAMEをした結果だ。
結局、彼らの言い分は、こういうことだ。
「権利の上に眠る者は保護に値せず」。
「言いたいことがあるのなら、はっきりとお前自身の口で言え」
「女のように、こそこそ卑怯に逃げ回る男の権利など、誰が護ってやるのか?」。
「不満があると、すぐに陰で理不尽な弱い者いじめをして発散するような卑怯者の権利など誰が護るのか?」
ゴールデンボンバー「女々しくて」【OFFICIAL MUSIC VIDEO [Full ver.] 】
https://www.youtube.com/watch?v=vvepe04Dbh4
ゲス(下衆)の極み乙女。 OFFICIAL WEBSITE
「日本国内では」、役立たずの労働者であっても、憲法25条:健康的で文化的な最低限度の生活ができないような
契約条件で契約するのは、不公正競争だ。
そういった縛りがあるからこそ、日本では、技術者や製造業など従業員に雇用されるための敷居が高くなり、
雇用機会を奪われて、求職活動の費用対合格の効率が低過ぎる疾病である身分:「障害者」になった労働者が多いのだ。
一般的に、福祉や土建、農林水産業など税金で偽造された官営業界でなければ、
製造業など国際競争の業界では、従業員の賃金の源泉は会社の利益だ。会社の利益を上回る人件費は出せない。
しかし、「会社の利益に貢献できる」という本当の求人条件を明示すれば、
政府に目を付けられて、問題化されて、集中攻撃(リンチ)を受ける。
だから、本当の求人条件は明示できない。
その結果、日本の労働市場は、労働者と経営者を結びつけることができなくなる機能不全に陥って、
膨大な社会保障の重荷と人手不足倒産・事業継承不能に拠る産業の崩壊を生み出すようになった。
今や、日本の外貨浪費のつけの支払いの実質的な重荷を一身に背負わされ、
外貨獲得のための国際競争に晒される技術者や製造業など理系は、
負担の重さに比べた待遇の悪さが有名になり過ぎて、敬遠されている。
一方で、税金乞食、寄生虫の仕事は、独裁政府に審査が集中して、集中する審査負担に耐え切れず、
審査がザルであることが有名になって、末端なら気楽に稼げるよい仕事として就職希望者が殺到している。
公務員の求人の多くは文系が占めており、理系を選択した時点で、
管理職公務員や政策決定に関与する気楽で儲かる公務員への道は閉ざされる。
ADRENAR
BLUE [松文館] | DLsite 成年コミック - R18
https://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ001568.html
医療や福祉や治安や国防など、税金しか収益源がない静脈産業は、
最終的には、税金以外を収益源とする動脈産業
(賄賂で買収された日本政府による税金を原資とした不公正競争が横行している製造業か、
世襲地主が封建的支配をしている農業)に寄生している産業だ。
だから、理系の就職氷河期は、大多数が精神障害者になるのだ。
なぜなら、恋愛する余裕すら無しに、カップラーメンだけで一生、働かされ、
過労死・事故死・病死する同僚を泣く泣く見捨てる、ロシアンルーレット状態=「今日の君は、明日は我が身」
といった奴隷生活を強いられるからだ。
福祉や医療や教育が「人助け」であるのは、あくまでも財源が、余裕金である場合のみだ。
福祉や医療や教育の財源が、受益者負担の原則を逸脱した強盗的な課税ならば、
本物の「人助け」とは医療でも福祉でも教育でもなく減税だ。
Q.政府が、第一に為すべきこととは何ですか?
A.まずは、税金で、やってはならない浪費を、やらないことです。
Q.税金をばら撒けば助かりますか?
A.違います。先に、理不尽な課税を減らすほうが先決です。
政府は投資家ではありません。
一般の投資の財源は、個人の私的財産が財源ですが、
政府の財源は税金です。
労働の報酬は、労働した人が受け取るべきだ。
「税金」という様式を介することで、
労働していない人が、他の労働者が受け取るべき報酬を強盗するように
国家が支援しているとすれば由々しき問題(moral hazard)だ。
強盗が、強盗した金を使って何をしても悪意だ。
強盗が為すべき最も大事なことは、まずは、強盗をしないことだ。
みんな製造業でも、「到底、従業員に最低賃金を払える自信がないから」と、
無理を頼みやすい家族経営の域を出たがらない経営者や廃業するところは多い。
(不当廉売競争などが横行すれば、税金による特別優遇を受ける会社は、技術力などと無関係に競争力優位になる。
また、知的財産権の価値を測る公正な基準が考えにくいことを鑑みると、知的財産権が濫用されれば、
ほとんどの価値は市場ではなく知的財産権の地雷原である裁判所で決まってしまうことになる…。)
そのようにして、今までも、多くの企業が消え、技術が途絶えていったし、今も消えていっている。
最低賃金を払える自信が無ければ、低能力の労働者など雇うな、廃業して、みんなで乞食として福祉にぶら下がるべきだ。
日本の国際競争力が失われたのも、雇用の実情を無視した外見だけを粉飾する規制が横行して、
プラザ合意の円高で海外に雇用が流出したあとも、巨大な雇用のミスマッチは膨らみ続け、
労働力の移動ができずに産業の再構成に失敗し、
本来ならば活用されて巨大な生産を担うべき労働力が、膨大な社会保障の重荷に変化したからだ。
多くの労働規制の結果、日本では、真の求人条件を求人票に記載することがなくなった。
だから、求職活動の費用対合格の効率が低過ぎて、求職活動を断念する「うつ病」「引きこもり」という疾患も増えた。
短期労働者の待遇の低さが問題になったときも、政府は自らの福祉の役割を放棄して、短期労働を原則禁止にした。
その結果、自由な雇用形態を選べなくなり、労働市場は窒息して、労働力の需給を引き合わせられず、
雇用のミスマッチが悪化して、人手不足と高失業率が並存する社会になった。
場当たり的な人手不足対策である移民による雇用と外貨の流出と、高失業の裏返しである重い社会保障が並存するようになった。
これは、自民党や公明党が、自らの政府の役割を「国民の搾取による売国」と定めていることの表れだ。
安価な非正規(Working-poor)の世界では、「手に職」で資格習得に意欲的な者は多かった。
で、30歳に近くなってくると、「どうだ、仕事も覚えたし、ピンはねされない独立を選んだらどうか」と誘いがかかる。
で、独立すると、最初は良い。
でも、雇用形態は、労働者ではなく請負。
商取引の世界は、雇用とは違う。
従業員が居ても居なくても、「結果だけ」がすべて。
仕事をこなせなくなってくると、どうしても従業員にも負担がかかりやすい。
非正規は、すぐに逃げる。
だって、身分保障などないから、会社など信用できない。
もちろん、会社側も、それほどの待遇は出してはいない。
で、「仕事がこなせない、従業員に負担がかかる、従業員が逃げる、さらに仕事の負担が経営者のみにかかる」、
の悪循環になる。
なぜ、30歳になると、独立の声がかかるのか、というと単純労働は体力が重要だから、
労働者としての価値は30歳がピークだから。
ま、最初の声をかけた経営者に一杯、食わされた、というわけ。
(教訓)
騙すか、騙されるか、それが雇用。
経営者や同僚など信用したら、身が持たない。
従業員を守るのは、企業ではなく法律。
安価な非正規(Working-poor)が大量に居なければ成立しない産業とは、
その当初から奴隷を必要とする非人道的な産業なのです。
海外への政府による投資は、ほとんどが赤字だ。
「なぜ、そのような杜撰な投資が横行するのか?」といえば自分の金でないからだ。
日本の政治家は、自分が国民の代表だと思わず、自分は国民を支配する独裁者だと自己認識している。
だから、国民から搾取した金を自分のポケットマネーであるかのように、
さんざん、海外にばら撒いて煽ててもらって良い気分になる。
で、そのつけを増税で賄っている。
で、税を介した国民への強盗の口実に窮すると、
「国際的な信用を失う」とか「国際公約だ」とか言って、一部国民へのリンチ強盗を繰り返すわけだ。
もう、政治家だの経営者だの上級国民は、麻薬依存症患者と一緒の状態だ。
依存症患者は、浪費が止まらないから、「必要悪」と嘯いて、犯罪を決行するのを止められない。
僕が君に強盗したとしよう。
君から強盗した金は自分で稼いだ金ではないから、その重みを感じない。
だから、泡銭として、簡単に浪費してしまう。
「金がなくなったら、また、君から強盗すればよい」とね。
「悪銭身につかず」となるわけだ。
君が、自分のために自分の金を使うときは、その恩恵が、どれくらい自分に返ってくるか、よく考える。
でも、僕が君から強盗した金を、浪費するとき、その恩恵が君にどれくらい返ってくるか、よく考えるかい?
上級国民の思考は、こんな具合だ。
無節操な浪費の挙句、借金で首が回らなくなって、強盗をする段になると、
「これが悪いことは自分でも判っているんだ。でも、借金を返済するには仕方がないんだ。必要悪だ。許してくれ」と
依存症に陥っている上級国民は嘯く。
富裕層が国内に居るのと、国民が豊かなのは違う。
発展途上国やユニセフに、日本人は寄付しているだろう?
彼らは貧しいわけじゃない。 貧富の格差があるだけだ。
途上国の富裕層は、とても金持ちだ。
何しろ、貧困層のおかげで、物価も人件費も安いから、見た目の資産額以上に富裕な生活をしている。
「なぜ、彼ら途上国の富裕層の殿様商売が、日本企業などに脅かされないないのか?」というと、
彼らは賄賂で自国政府を支配して、外国企業の参入を拒む非関税障壁を作っているからだ。
日本が途上国の学生に過剰な接待をしているのは、そういった非関税障壁に食い込む先兵を欲しているからだ。
途上国など援助する必要は無い。 ユニセフに恵んでやる必要は無い。
途上国の子供が学校に来るのは、勉強のためではなく、児童労働から逃げ、無償の給食目当てだ。
日本では、過剰な学歴要求で、労働への参加が遅れるから、どんどん実質的な貧困が進んでいる。
途上国では、「無償の給食」という餌を用意しなければ、子供は教育を受けに来ない。
日本では、「学校に行かなければ生活できない」という鞭で、子供に教育を強要する。
子供に褒美をやって教育するから途上国政府は貧困なのだ。
子供を搾取した犠牲の上で金城湯地を満喫しているから、日本の大人、さらにその上に位置する企業は豊かなのだ。
「24時間テレビ 愛は地球を救う|日本テレビ(https://www.ntv.co.jp/24h/)」は、完全な偽善。
先進国の「途上国支援」は、
『血塗られた携帯電話(タンタル金属鉱山)』(ドキュメンタリー) : 竹林軒出張所
(https://chikrinken.exblog.jp/18410777/)
とかの別働隊。
つまり、先進国企業が、
途上国で独裁を支援して、独裁者に兵器とかを売って資源を買うことに
反感を感じる原住民をなだめたり、先進国マスコミ対策向けの飴。
だから、日本国内での自国民救済に対しては軽犯罪法で乞食行為を禁止しているのに、
海外の途上国に対しては乞食させているわけ。
暗黒サーカス 第四章 侏儒人形の恐怖 …
淫虐サーカス アダルトコミック DL.Getchu.com
http://dl.getchu.com/i/item3003769
LAST☆ONE …
LAUGH&EROS
+ [オークス] |
DLsite 成年コミック
- R18
https://www.dlsite.com/books-touch/work/=/product_id/BJ019718.html
日本の上級国民が移民を入れて物価や人件費を抑えようとしているのは、
日本を途上国と同じ状態にしたいからだ。
つまり、今の日本円の強さから言えば、日本国内の小金持ちや成金は、途上国なら完全に富裕層だ。
しかし、日本は物価や人件費が高いから、日本国内では途上国のように豪遊できない。
で、途上国から移民を入れて、日本の貧困層を途上国並の物価や人件費まで叩き落して、
手持ちの資産の実質的な価値を高めようとしているわけだ。
DailyNK
JAPAN 2021年01月02日
https://dailynk.jp/archives/136443
安全部(警察官)と糾察隊は、
川原にあったコチェビ(꽃제비、кочевье)の掘っ立て小屋に次から次へと火を放って回っている。
そんな「焼き討ち作戦」に清津市民の間からは
「北朝鮮政府は飢えに苦しむコチェビの面倒を見るどころか、
寒さをしのごうと建てた掘っ立て小屋を燃やすとは何事か」
と批判の声が上がっている。
北朝鮮政府は、”福祉”関連施設に一切の予算を出さず、
地方政府や”福祉”施設が、
自力(独立採算)で”福祉”関連施設を運営することを求めている。
「穀潰し」とは、何を以て定義すべきだろうか?
「現在の所有資産が少ない」=「穀潰し」と定義すべきだろうか?
それとも「社会への(累積)貢献度が少ない」=「穀潰し」と定義すべきだろうか?
確かに上級国民は社会への貢献度が少々多いかもしれない。
でも、下級国民の多くは、そういった社会的影響力が大きな役職に就く機会すら与えられなかった。
「就職氷河期の非正規が疲弊して、下級職の労働者が足りないから、移民が欲しい」とまで上級国民は言っている。
上級国民は、報酬が多いから、辞めても替えがいくらでも居る。
上級国民は需要が無い、供給過多だ。
でも、下級国民は必要だから、「移民を入れたい」とまで言われている。
では、本当に社会にとって必要な国民は、上級国民か、それとも下級国民か?
本来の貢献度より多く報酬をもらい過ぎているのは誰だ?
本来の貢献度より安く報酬を買い叩かれているのは誰だ?
政府は国民のものだから、本来は、政府が企業を支援する責任も義理も無い。
もしも、政府が企業を支援したとするのなら、本来、それは貸付だ。
当然、金利を上乗せして、企業から返済してもらわねばならない。
「国民の支援」と偽って、企業の高額商品の販売を支援するような、偽の社会保障政策とかも止めろ。
格差拡大政策を煽り、貢献度以上の報酬を盗んだり、
収支(Balance
Sheet)から見ても、既に破綻している社会制度を持続可能なように偽るために
国家の資産を切り売りして外貨を調達するような売国政策を推進していたりする上級国民こそが「穀潰し」だ。
移民が必要なのではない。
「移民に投げ与えているような仕事」と軽蔑しているが、
その仕事が社会にとって必要なら、その仕事の報酬は低過ぎるのだ。
必要なのは移民ではなく、
移民に担当させようとしているような、社会にとって必要な仕事の報酬を引き上げて、
そういった雇用を国民労働者で賄うようにすることだ。
生計が成り立たないような報酬しか出せないような雇用、
すなわち奴隷が居なければ成り立たない社会制度は、既に破綻しているのだ。
国家が国民を保護しないのなら、納税する義務などない。
介護を「老人の世話役」などと軽蔑しているが、
会社の従業員と介護者(Maid)は違う。
会社の従業員は、仕事のやり方を教えてやればよいから、
会社の従業員は自分の報酬相当額以上を(会社の形を借りるが)自力で稼ぎ出す。
だから、経営者は、従業員が半ば自力で稼いだ利益を従業員に分けてやるだけでよい。
しかし、介護は違う。
介護者は、自力では何も会社の商品を生産してはいない。
だから、介護される者は、自分の生活費と介護者の生活費の両方を稼いで、介護者に分けてやらねばならない。
介護される者は、最低でも、2人分の生活費を稼いでいなければならない。(支出と収入に時差はあるが)
老人が分不相応な浪費をすれば、誰につけは回るだろうか?
外貨を稼げる仕事なら、自動車を売った金で、小麦を買えるから、国内の国民は豊かになる。(重商主義)
でも、糞ジジイのオムツを交換しても、誰が、その賃金を払うのか?
糞ジジイのオムツ交換の給与は税金から出る。
で、税金の負担者も、労働者だ。
結局、税金を介するだけで、実質的に、無償で糞ジジイのオムツ交換をやっていることになる。
で、医療・福祉・教育・農業などの官営業界関係者は、税金から受け取る分が、税金を支払う分より多いから、
「現状を改善するには、もっと政府を肥大化させろ」と言う。
でも、税金を支払う分が税金から受け取る分より多い、実質的に全負担をしわ寄せされている非正規などは、たまらない。
日本を、自らの脚を喰う蛸に例えると、蛸の胃袋が公務員、蛸の脚が引きこもりや派遣など非正規、
蛸の頭脳が「上級国民」と自称する暴力団、蛸の生殖器が移民に相当する。